⽚⼭享監督『いっちょらい』が6⽉17⽇から池袋シネマ・ロサにて劇場公開。その後、順次公開予定。本作は同監督が2017年に制作した短編映画『いっちょらい』のセルフリメイク⻑編作品。今回、片山享監督にお時間をいただき、短編版からセルフリメイクの長編版までの経緯をお話いただきました。
■ 映画『いっちょらい』 片山享監督インタビュー
▼セルフリメイクの元になった短編版『いっちょらい』について
-今回、長編版としてセルフリメイクする元になった短編版『いっちょらい』を撮影したのはいつですか?
片山享監督
短編版『いっちょらい』を撮ったのは2017年です。
-それが、初監督作品になるわけですよね?
片山享監督
あれが初ですね。
-その前年となる、2016年。片山監督が35歳の時に開催されたふくいムービーハッカソンの1回目に招待俳優として参加された時に思うことがあって、「次は監督をやらせてください。」と主催者に伝えたそうですが、そのときにあった“思うこと”とは、どういったものがあるのでしょうか?
片山享監督
まず、ふくいムービーハッカソンというのは、「福井の市民の人と一緒に映画を撮りましょう」という、撮影を福井でその場に集まった人たちで撮ろうというもので、形は変わっていきましたけれども、元々は津田寛治さんが発案されたものです。
そうして始まった第1回目に、僕と松林さんと、金沢在住の星能豊さんの3人が招待俳優として参加しました。僕はその時点でもう15年以上役者として活動している状況でした。
元々映画を撮りたかったのもあって、今回は俳優としての参加だったけれども、「僕にしか撮れない福井はきっとあるな」という思いがあったんです。
そこから 「結局、幸せって何?」っていうテーマに落ちていくんですけれど、僕だからこそのテーマというか、それを福井で撮ることは自分の故郷・知っているところだから、僕にしか撮れない福井がきっとあると感じたんです。
-ふくいムービーハッカソンは映画製作にあたって、テーマは決められているのでしょうか?
片山享監督
決められたテーマはないんですよ。駅前が舞台であれば、何やってもいいというもので、何でも好きなことをやればいいんです。面白い企画で、特に自分の中でモノ作りの欲がすごく強かったと思います。
僕は、どこまでが役者でどこまでが役者じゃないかわからないものを作ろうと思っています。芝居なんて生きてりゃみんなできると思うんです。だって毎日、芝居をしているじゃないですか。それをどう説明していくかだと思うんですよね、“演出”ってそれが演出じゃないのかと僕は思うんです。
▼ふくいムービーハッカソンに関わる3人の関係性
-ふくいムービーハッカソンは津田寛治さんが発案されたイベントであり、松林さんは津田さんが監督した『カタラズのまちで』へ出演するために住民票を移して出演されたという経緯があり、津田さんと片山監督は福井出身という共通点がありますが、津田寛治さん、松林さん、片山さんの関係性・繋がりは、どのように出来上がっていったのでしょうか。
片山享監督
松林さんと津田さんは、僕とは別で知り合っているんですけれども、津田さんは元々僕の同郷の先輩になります。僕が高校2年生の時だと思うのですが、地元の福井新聞で、当時1月1日に掲載する“今、活躍している人”というような特集記事があって、そこに津田さんが取り上げられていたんです。
津田さんが30歳過ぎぐらいだったと思います。かなり大きな写真が掲載されていて、地元出身の俳優ということで取り上げられていて、いいなと思ったんです。僕はボブ鈴木さんに2001年に出会っているのですが、ボブさんは津田さんと『ひまわり』と『GO』などで共演していて、お知り合いだと聞いていたんです。
そこで僕はボブさんに、「いつか津田さんを紹介してください」という話をしていたら、2004年に池袋の東京芸術劇場で公演していた『世紀末三人姉妹』という舞台に津田さんが出演されていらして、その時に「楽屋に挨拶行こう」といって、お会いしたのが初めてのことになります。津田さんは覚えていないと思うんですけど、もう20年近く前のことですね。
僕と松林さんは、2010年に公開した映画で共演したのが初めて会った作品でした。その作品は主役が6人いて、その中に僕と松林さんがいて友達役だったんです。その撮影は確か2009年だったと思います。友達役といっても、松林さんの方が五つ歳上なのですが友達役だったので、監督に事前に「松林さんと撮影前に会えないですか」と連絡して、松林さんに「ちょっと仲良くなりましょう」と話してからですね。
なので、それぞれ別々に出会ったんです。松林さんが津田さんの所属事務所にお世話になるかもしれないという話になって 『カタラズのまちで』(https://www.youtube.com/watch?v=Akr2fiWtQ_I)
のときに松林さんが出演されたところに、僕も役者兼制作応援として参加したんです。
それが「福井駅前短編映画祭」の前身で、撮影は2012年のことになります。
津田さんはすごく好きなものに陶酔できる人で、すごく素敵なことだと思います。
今年、地元の雑誌で対談したんですけど、そのときもすごく素敵な言葉をたくさんもらいました。津田さんは地元の同郷のいい先輩・いい関係というか面白い関係なんだと思っています。
▼松林慎司さんの『いっちょらい』出演の経緯
-松林さんの『いっちょらい』への出演の経緯を教えてください。
片山享監督
先ほどの延長線上の話になりますが、『カタラズのまちで』(2013)にメインキャストで出て、それによって、今回のプロデューサーの宮田さんと仲良くなって、2016年の「ふくいムービーハッカソン」の1回目のときの招待俳優になって走り回った次の年に、松林さんもまたムービーハッカソンに参加すると聞いて、「だったら慎司さん主演で映画を撮りましょう」という話を宮田さんとしたのが一番の経緯ですね。
付き合いもその時点でもう6年ぐらいあったのかな、昔からよく知っていたので。僕が見てきた松林慎司みたいなものがあって、それを撮りたいって思っていました。僕にしか撮れない松林慎司はきっといるんじゃないかって。
他の作品でも素敵な役はいっぱいありましたけど、あの人の根本はこうじゃない気がするって自分で思っていたので、それを僕なりに見たいという、慎司さんにしかできないことを見たい・主役でやってほしいと思っていました。
▼『いっちょらい』を撮ろうと思った想いは?
-『いっちょらい』という作品を考えたのはいつになるのでしょうか?
片山享監督
2016年のハッカソンが終わった後に「撮らせてください」と伝えて、2017年になってから、4月…5月ぐらいでしょうか。
毎年9月のシルバーウィークの3日間で撮影するので、そろそろ脚本を考えなきゃいけないなと思っていて、ずっと何にしようかなと考えていたんですけど。
撮るならば、僕にしか描けない福井を描きたいというものがあって、『轟音』のテーマに通じますけれど、僕は福井が好きじゃなかったので、幸せじゃなかったんですよね。
「幸せって何なんだろう」っていうテーマで描きたいというものがありました。
僕から見た幸せというものは、福井で撮るとなったら僕にしか描けないものじゃないかと思って、そのテーマが決まったので、あとは福井の何かを出したいと思って、「イッチョライ節」自体は知っていたんですけど、昭和37年にできた比較的新しい民謡だというのは知らなかったんです。
イッチョライの意味も知らなくて、福井弁ですけど、「一張羅」っていう意味なんですけどね。「一番良いもの」っていう意味があって、それなら幸せっていうテーマに通ずるものがあるなと思って、「イッチョライ節」を含めたいと思いました。
あと、僕は東京に出てきて福井に住んでいなくて、福井で幸せを感じたことがなかったので、「福井に幸せを感じられていない人を描く」=「福井で幸せを感じている人を知らなければいけない」ということを思いついて誰かに話を聞こうと思ったんです。そこでプロデューサーの宮田さんに (本音を聞くために)喧嘩しようと思って六本木から電話しました。
宮田さんは、山梨の大学に出てきて、卒業と同時に福井に戻っているんです。なぜ福井に戻ったとか、元々、福井のまち作りがしたかったという、いろいろな思いも聞いているんですけど、「宮田さんは今幸せですか?」とか「あれは失敗だったんじゃないですか?」とか、「本当に今そうなったことに、あなたは満足してるんですか?」っていう話を電話で聞いたんです。
宮田さんは、「元々、まち作りをしたかったから、元々決めていたことだから、別に後悔はないよ」と答えてくれていたんですけど、僕は「いいえ、後悔がきっとあるはずです。だって、そんな関東近郊まで出てきていて、その後に関東に出ようと思っていたわけじゃないですか?でも帰っちゃったわけだから、多分なにかしらの後悔があるんじゃないですか?」と、ずっと言い続けたんです。
「多分それは、100%の幸せじゃないんじゃないですか?」って聞いたら、「俺は別に幸せにやってるよ」って、そのやりとりをずっと言い続けていたら宮田さんがブチキレまして。 「そんなもんは人それぞれや!」って言われたんですよ。
「俺は幸せやし、人それぞれやろ」って言われて、「なるほど、そりゃそうだよな、そういうことだな」と思ったので、「すみません、ありがとうございます。脚本を書きます」って言って電話を切ったんです。
それは未だに言われますけどね。本当に何の説明もしないまま、「脚本を書きます」と言って電話を切ったので。
それで家に帰ってすぐ書いたのが初代『いっちょらい』の短編です。
▼松林慎司さんが感じた、「当時にすでにあった長編化への可能性」とは
-松林さんは、短編版の『いっちょらい』の時点で長編化への可能性を感じていたそうですね。
片山享監督
元々松林さんは、台本をもらった時点で、「これは長編でいけるんじゃないか」って、思っていたらしくて。その思いはコメントで見てもらえればと思いますが…
松林慎司さんのコメント
(短編版の『いっちょらい』の時点で長編化への可能性を感じたこと)
読んだ台本から出来上がった25分少々の映像に衝撃受けまして。
僕の中で台本を越えた短編だったのです。
ハッカソンという独自の制作過程において切り捨てなきゃ行けないところ。
その時の自分の未熟さを痛感し、演り切れてないと感じたのです。
片山監督には失礼ですがもっとできた。
監督が思い描く、テツヤの置かれている境遇に共感できたのが第一で彼の生きづらい人生の中、受け入れていく姿をもう一度整理してもっと深掘りできないかと思いました。誰もが幸せを求めている中、彼の幸せは何か。地方都市で同じ境遇の方はたくさんいると思います。
けど少し違うのは幸福度を実感してる福井県の物語なんです。
長編にして物語を再構築したら訴えかけるものは大きいと思ったんです。
片山享監督
出来上がった後も、「これ、長編にしないの?」とちょこちょこ言われていたんです。僕も思い入れがありましたし、ハッカソンで初めて賞を獲った映画でもあるし、タイミングがあれば撮ろうと考えていたんです。
そんな時にコロナの時代になって、福井駅前短編映画祭自体、2020年が中止。当然、ハッカソンも中止になりました。2020年はハッカソンの第5回の予定だったんですよ。
常連の人たちが出てきたり、シルバーウィークに映画を駅前で撮っているのが、地域の人がみんなわかっていて、カメラを持っていると「映画?」って聞かれるようになってきていました。
宮田さんは「福井を映画の街に」とずっと奮闘していた人だったので、僕は福井に行って誰もいない展望台みたいなところで話したんです。
「どうします?せっかく少しずつこうやって根付いてきたものを、今年やらないっていうことはどうなんだ」って。
2020年の5月だったんで、状況は緊急事態宣言が明けるぐらいだったと思います。「これはどうするべきなんですかね」っていう話をして、僕も宮田さんも、「せっかくつけてきた火は消したくないけど、状況的にどうすればいいかな…」って話をしました。 そのときは夏頃には収まるかもっていう話があって、それをまず信じようとなりました。
もしやるならば、もうハッカソンという短編という枠(時間的制約)はないから、「長編をやりましょう。どうせやるんだったら長編まで振り切っちゃった方がいいですよ」という話をしたんです。長編をやるんだったら、慎司さんも『いっちょらい』をやりたいって言っていたし、宮田さんの中でも『いっちょらい』の現場というのが、ふくいムービーハッカソンの方向性を決めた現場だったって言ってくれていましたから。
『いっちょらい』の撮影は大変なこともいっぱいあったんですけど、それでも市民の人たちが最後の最後までずっと付き合ってくれて誰も帰らなかったんですよ。それは無理をさせたとかではなくて、「気概をすごく感じられた現場だったから、あれが俺の中の指針になってんだよね」っていうのは常日頃話しているんですけど。
そういったこともあって、 「『いっちょらい』をシルバーウィークを使った1週間で撮りましょうか」、「撮りましょう」っていうのをそこで決めたんです。もちろん状況を鑑みながら。コロナの状況によって、駄目になったらすぐ中止しましょうっていうことを事前に話していました。
幸い感染者が本当に少なかった時期に撮れました。誰もコロナならなかったし、感染対策もえぐいほどやりましたから。
▼セルフリメイクした長編版『いっちょらい』と福井の人たち
-セルフリメイクした長編版『いっちょらい』の試写会の開催は2021年の2月なんですよね。
そんな前に撮ったんだなという印象がありました。
片山享監督
そうです。撮影は2020年の9月でした。上映がなかなか決まらなかったんです。
-本気度が伝わってくる作品ですよね。短編版の撮影の際も最後の最後まで、福井の方々が帰らなかったという話もありましたが。
片山享監督
結局、クレジットに載っているのは、8割が福井の人ですからね。
福井じゃない人の方を数える方が、簡単ですよ。だって、慎司さん、太田さん安楽、岸茉莉、柳谷、大宮さん、撮影の深谷、あと、ラッキーオールドサンか。
それ以外は全員福井ですよ。窪瀬環さんも福井出身なんで、中山卓也くんも福井の人ですし。
福井の人が出演する映画は撮りたかったですね。でもやっぱりすごいのは、会長とか、テツヤのお父さんもそうですけど、普通の人ですからね。お父さんは自主映画に出ていることもありますし、お母さんも劇団に入っている人ですけど、やっぱり会長はすごいですね。
お父さんと、あの会長は“レジェンド”と呼んでいます。
でも僕は演出していますからね。福井の人全員を野放しにして好きにやってもらったわけではないので。
▼セルフリメイクした理由は?
-長編版にセルフリメイクした理由をきかせてください。
片山享監督
短編版のラストの慎司さんに、全然納得してなかったんです。
それは慎司さんのせいではなくて、夜中まで撮影していたのがあのシーンなんですけど、短編のときは僕が初監督だっていうのもあるし、撮影部から録音部署および全部素人なので、現場のことがわかるのが、僕と慎司さんしかいなかったんです。
そんな中でやっていて、「もういま演出していられない」ってなったんですよ。周りの人に申し訳なくて。やっぱり早く終わってあげないと、翌日は仕事だし、だから、「あっ!」て思いながらも、「でもこれは今は言えない」って思って、あれで完成になったんです。完全に僕の力不足でした。
あれはあれで良さがあるんですけどね。だから100%だけをしたかったかといったらそうじゃないんですけど。
あれはあれの良さがあるから、僕は納得してやっていたんですけど。
けど…もっといい慎司さんが撮れるんじゃないかっていうのはすごくありました。
初監督だったから、余裕もなかったし、もっと松林慎司を魅力的に撮りたいっていうのはすごくありましたね。
▼長編化にあたり
-長編にする時に現れた要素や変わったところはありましたか?
片山享監督
大きな変更点としてあったのが、長編になったときに、短編のテツヤのキャラクターで書こうと思ったら書けなかったんですよ。
もちろん改稿は重ねましたが、あれも結局のところ二、三時間で脚本を書いているんですけど。1回書いたら止まってしまったんです。それは何でかって言うと、どう描いていいかが途中でわかんなくなってしまったんです。
短編版の『いっちょらい』のテツヤってちょっと人生を諦めているんですよ。「もう俺はしょうがねえよ」っていう、どちらかというと諦めちゃっていて、開き直りじゃないですけど、諦めている人で長編って、僕の技術だともたなかったんです。
状況的に「もういいや!」ってなったら、もう諦めちゃうんじゃないかなと思ったんです。
でもそれじゃお話にならないから、長編を書いている最中に、「そうか!この人は諦めてない人なんだ」って考えました。
テツヤが噂話をしてしまったりするのは、あれは諦めてないから、自分に希望をちょっとでも感じてしまっているというか、諦めたくない、諦めきれない。極端かもしれませんが諦めきれてない人にしないといけないと思いました。
加わってくれた窪瀬さんの大平という古本屋の女の子は、グチの比較の対象になりやすい人を作りたかったっていうのと、あの子は自ら望んでここにお店を出したということを客観的に、きっと描かなきゃいけないと思ってあの役は足そうって思いました。
▼テツヤのキャラクター
-テツヤ自身のキャラクターが変わっているんですね。
片山享監督
そうですね。明らかにキャラクターは違うと思います。
話の筋は一緒なんですけど、テツヤの感じ方というか、言い方も多分、やっぱ陰気くさい言い方を長編ではしているはずです。
短編のときって、陰気臭い感じというよりは流されて生きている人みたいに感じると思います。商店街の人に「これをやったらいいかな」って言ったら「できるわけないよ」って言われて、「そうやな…」っていうようなそういう人だったんですけど、長編版では、それすら言えない人になっちゃった、どうしていいかわからない人になっています。
-長編になるにあたって、一番主人公のキャラクターのしょうがないと思っているかどうかが大きな違いだと思うんですけど、そこがやっぱり一番重視した部分になるのでしょうか
片山享監督
元々思っていたのが、短編の脚本の難しさでした。
多分、長編を書くよりも、短編を書く方が圧倒的に難しいと思うんです。
僕は脚本の勉強をしたことがなくて、僕の書く短編って、「長編の本だ」ってよく言われていたんです。
『つむぐ』にしても、『未来の唄』…は短編と呼ぶにはちょっと長いですけど、52分ぐらいあるので。
いつも短編を書くと、自分でもわかっているんですけど、長編の題材を無理くりここで切って、短編にしていることがあったので、短編を伸ばすというよりは、これをやっと長編として昇華できるんだっていう想いです。
-本来の尺に戻ったんですね。
片山享監督
やはりきちんと時間をかけて、あの話を撮りたかったんです。
だから起点と終点が短編と同じ話になっていて、あれが真っ当な尺なんだと思います。
丁寧にあのテツヤを描こうと思ったら、キャラクターのイメージが違ったというか。そう考えると面白いですよね。
▼幸せとは?
-作品のテーマにちなんで、片山監督が考える「幸せとは」
片山享監督
幸せとは…ですよね。
月並みですけど、 多分、自分が幸せと思えば、幸せなんじゃないですかね。
他人が決めることではなく、自分が決めることだと思います。
例えば他人の評価を自分の評価だと思ってしまったりとか、それで幸せを感じる人は別にいいとは思いますし、否定はしたくないですけれど。先ほどの話ですけど、環境とか場所が幸せを決めるのではなくて、自分が幸せって思えるかどうかだけじゃないかなって思っていますね。
『轟音』の時にもさんざん言った話ですけど、地元が嫌いだったという、その“嫌い”ということで、“幸せじゃない”と言うことで、ごまかしていたというか。だから本質に気づかないというか。そうやってごまかすんじゃなくて、ちゃんと向き合わないといけない。
僕は映画を撮ってみないとわからなかったことがたくさんあって、たまたま何か評価されたからよかったんですけど、でも評価されなくても、撮ったら何か気づけた気はします。なかなか難しいですけどね.。正面から自分の幸せと向き合うって、やっぱ100の幸せなんてなかなかないから。
ひとつ思っているのは、 「いま幸せだ」って思うじゃないですか。けどそれが、10年後に続いてるとは思えないというか、毎日、形は変わっていくので、その瞬間瞬間の幸せを大事にしたらいいし、それに別にこだわらないというか、今を大事にしてほしいですね。
もしかしたら今を大事にすることが幸せに繋がるのかもしれないですね。
それは作品として置いていくことでいろいろ感じるようになりましたね。「今はどうなんだ?俺は今どう思ってんだ」っていうのは、引きずりますけどね。過去は。
テツヤが留守電を聞いているのは僕の実体験ですからね。脚本であの部分を最初にスタッフが読んだ時に、「大丈夫ですか?これって片山さんの経験談ですよね?」って言われて、「え!?そんなにやばいの?」って聞き返したら、
「これ相当やばいですよ」って言われて、俺、全然わかってないって気づかされました。
僕めっちゃ引きずるんですよ。
■お客様へのメッセージをお願いします。
-お客様へのメッセージをお願いします。
片山享監督
いろいろなところで言っていますが、“乗り越える”という言葉が苦手で、それは、聞こえはもちろんいいし、否定はしたくないんですけど、 一度背負ったものっていうのは忘れられないと思うんですよね。
それは想いもそうだし、お父さんのことや過去のことがあったり、人間って本当にいろいろあるし、人には言えないこともたくさんある中で、 それぞれがいろいろものを背負いながらそれでも生きているんですけど、だから何か悪いことがあったときに、それを乗り越えるっていうのは、僕は違う気がしています。
乗り越えたとしても、どうせ忘れることなんかできないし、 だったら、それを背負ったままでも、 一歩前に踏み出せたら、これほど強いものはないんじゃないかって。 そういう思いをすごく、『いっちょらい』に込めました。
もちろん「幸せってなんだ」というテーマもあるんですけど、 本当にいろいろなことがある中で、どう踏み出すかはその人次第ですけど、『いっちょらい』では、「テツヤはどうするんだ?」という中で、 優しくありたいというか、その一歩を見たときに、きっとイッチョライ節が応援歌のように聞こえるんじゃないかと願っています。
なので、「いいじゃないか!」って言いたいですね。「いろいろあるけど、いいじゃない!」っていいたいです。
大きくジャンプなんてしなくていいから、 一歩前に足が出たら、 それで十分なんじゃないかというふうに思っていただけたら嬉しいなと思っています。
■ 作品概要
<クレジット>
出演
松林慎司
太田美恵 安楽涼 窪瀬環 岸茉莉 柳谷一成
大宮将司 あまつりか 中山卓也(友情出演) 藤井啓文 大平智子
山田昭二
スタッフ
プロデューサー:宮田耕輔 撮影/照明:深谷祐次 録音/整音:坂元就
アソシエイトプロデューサー:髙橋昌裕 スチール:坂本義和 題字/グラフィックデザイン:広部志行 撮影/照明助手:角野楓 録音助手:水上幸彦 歌唱・踊り指導:井上満枝 山本純子
主題歌:ナオリュウ「それでも世界は美しい」
挿入歌:ラッキーオールドサン「すずらん通り」「ベースサイドストリート」
後援:福井県 特別協賛:福井市 / OOKABE GLASS株式会社 配給・宣伝協力:夢何生
企画/製作:ふくいまちなかムービープロジェクト 監督/脚本/編集:片山享
2023年/日本/93分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/DCP
映画「いっちょらい」公式HP https://www.fukuiicchorai.com/
公式Twitter (@movieicchorai)
6⽉17⽇から池袋シネマ・ロサにて劇場公開