2021年12月25日、映画『灯せ』(安楽涼監督)が、池袋シネマ・ロサで上映を開始。初日舞台挨拶が行われ、サトウヒロキ、円井わん、DEG、片山享、安楽涼監督が登壇。映画製作にあたってのきっかけと経緯。撮影時のエピソード、感想、そして、メッセージを語った。
■映画『灯せ』
緊急事態宣言が出され表現者は容赦なく場を失っていき、本作の安楽涼監督も新作映画の撮影がクランクイン直前で止まってしまった。「しょうがない」を受け入れ続けるのはもう限界で、映画『灯
せ』の撮影・完成へと至った。
出演には公開作が多数控えるサトウヒロキ、円井わん。『追い風』のDEGと藤田義雄が主題歌「No Picture」を書き下ろした。
<あらすじ>
2021年梅雨。緊急事態宣言により映画監督、舞台役者、ラッパーの3人の男女は容赦なく場を失っていった。これ以上光は消させない。僕等は歩き続ける。
安楽涼監督 コメント
コロナ禍で「しょうがない」と思いたくない事に何度出くわしたかわかりません。沢山の友人が悔しさを受け止めていく姿を見ました。自分が監督する映画も緊急事態宣言で止めるしかなくなりました。街に出れば光を消せだなんてもう限界だ。映画館の暗闇で見てこそ完成する映画を作りました。タイトルは『灯せ』
■映画『灯せ』初日舞台挨拶
▼制作の経緯について
片山享
まず、映画『灯せ』制作の経緯から教えて下さい。
安楽涼監督
自分といま隣にいるサトウヒロキで短編映画を撮る予定でした。それがずっと進んでいて、クランクインの2,3週間前くらいに、急に緊急事態宣言が出ました。
その関係で撮影が無くなってしまい、お金の問題もありまして、止めざるを得ない状況になってしまいました。映画がなくなるって初めての出来事で、どうしたらいいかわからなくて、その日の夜に脚本を書きました。
その日の夜にヒロキと電話したんです。そうしたらヒロキが「まだやりましょうよ」って言ってくれました。俺は映画を「もう終わっちゃったんだ」って思ってしまっていたのに、ヒロキは「やろう、やろうよ、やりましょうよ」って言ってくれていました。「ああ、これに応えられない俺って何なんだろう」と思ってしまって、脚本を書いてこれを作ろうと思いました。今、作りたいものを無かったことにしないで、新しく作ろうと思った映画です。
▼映画監督役 サトウヒロキ
片山享
サトウさんが安楽涼監督と一緒に電話をする中で、「やりましょうよ」って言ってる時、すでに別の映画が中止になってしまったわけですよね。
監督が書いてきた脚本で、「やりましょう」という話が来て、脚本を読んでみて、どう思いましたか?
サトウヒロキ
「やりましょう、やりましょう」なんて、生意気を言ってすみませんでした。その時の電話では夜中に、おそらく、2,3時間も電話して、お互い言葉が止まる・無言の時間が続くきついものでした。
その時の感情そのままが脚本になっているなと思いました。もう僕は「やるしかない。絶対やりたい。」、そして、その時の感情をそのまま映画にしてくれていて、嬉しかったのを覚えています。
片山享
実際にここの上(池袋シネマ・ロサ 2階)で撮影をしたわけですけれども、やってみてどうでしたか。
サトウヒロキ
やってみたときはちょっとその怒りの渦中というか、そういう感情もありました。脚本をいただいてやるってなったら、俳優のお仕事として、そういう感情とは別でちゃんと考えてやろうと思いました。
改めてまた見ていて、このときの感情が、作品として残されていることがすごいありがたいというか、自分としても忘れたくない感情だったので、それはすごい嬉しかったです。
片山享
僕も現場にいて一緒に芝居をしていたんですけれど。監督が印象的な一言を言ったのを覚えています。
一番最初にやるん段取りの時のことです。安楽監督は、よく自分の主演で映画に出ているのですが、この時、「ああ、俺じゃないんだ」って言ったことをすごい覚えています。
サトウさんの役がすごい怒ると思っていたら、そんなに怒らなかったというか、葛藤の感情を感じました。何かそのときのことって覚えていますか。
安楽涼監督
僕はもう映画がなくなったことって怒りなのかわかりませんでした。もうどこに向かえばいいかわからなかったから、感情が出始めたら止まらなくなっていました。
そういう時にヒロキを演出していて、「ああそうだ…」って、その通りなんですけど、「ああ、僕じゃないんだ」ってことに気づいてヒロキに頼んだんです。でもそれって僕がやりたかったことだし、キレているのは僕だし、コロナというのはすごく繊細な問題だと思っています。なので僕の(考え・行動)が正解では無いと思ってるし、この映画を撮ったけど僕が正解だとは決して思っていないです。だからヒロキの感情をこのまま活かそうと思ったのは、すごく印象的に覚えています。
▼舞台女優役 円井わん
片山享
舞台女優の役をやられていて、ずっと同じセリフを繰り返しながら歩いていて、最後のセリフに至るわけですが、何かその時の気持ちというか、その歩いてるときの気持ちと、その次に進めたときの、何であれは進めたのかっていう部分に対してどう考えていましたか?
円井わん
結構しんどいことではあるんですけど、ポジティブでもあって、彼女が、だから「とりあえずやるしかない」という感じで、やっていたと思います。安楽さんってこういう見た目の演出なんかより、心でずっと会話してくださったので、そういう自分の中の心情みたいなものがあの動きに出たのかなと思っています。
1個、エピソードがあります。胡蝶蘭があるんですけど、それが大切な誰かだと思って、演じてくださいっていう話だったので、なんかそれがすごい熱量を感じました。
安楽涼監督
胡蝶蘭に関しては本当にその現場で急に僕が持っていったんです。先輩のなくなった舞台の話が僕の中で元になってるんですけど、すごく立ちたかった舞台に立てなかった先輩がいて、本当はあったかもしれない舞台で、俺は見てたかもしれないし、大切な誰かが見ていたかもしれないしと思いました。
それを例えるなら何だろうと思ってすごく綺麗なものでありたいなと思いました。そこで贈られるものとして胡蝶蘭を持ってこようと急に思いついて持っていきました。だから台本にはなかったです。
円井わん
それが無茶苦茶自分の中でエネルギーに変わったという記憶があります。こういう演出を直前に出してくださってすごいなと思っています。
▼ラッパー役 DEG
片山享
DEGさんと監督は20年来、小学校からの友達で、そんな同級生として、こういう誰もが知っているような状況になっている中、「こういう映画をやりたいんだけど」って言われたときに思ったことはありますか?
DEG
何かやるんだろうなとは思っていたんですよ。基本的に自分もそういうイベントがなくなったことがあって、今回、電話したりLINEしたりしていて、「なんかこういう曲を作ろうと思うんだよ」みたいなことを話しました。そうしたら、あんぼうから急に返事がなくなりました。さっきあんぼうが言っていましたが、コロナの問題って繊細じゃないですか。だから俺の考えとあんぼうの考えは違ったのかなと思って、やばいかもしれないなと思いました。そうしたら急に次の日、脚本が来て、さすがです安楽さんって感じでした。「あなたやっぱりやるんですね」っていう感じでした。
もう自分はもうその脚本が送られてきて撮影日を決められただけで、映画の撮影が始まって特に会話せずに終わり、今日を迎えました。
片山享
曲は先にあったのでしょうか?
DEG
先にあったわけではないですけど、アイディアはあって、「NO PICTURE」というタイトルでした。これも正解じゃないと思ってるんですけど、自分も無くなってしまう場所に立つはずでした。その場所に無くなる前にちょっと行くかと思って、そこに行ったんです。そうしたら写真を撮ってる方がたくさんいらして、「あぁ写真撮ってんな」と思ってみながらすごく複雑な気持ちになってしまいました。写真を撮ること自体はそれはそれでいいんですけど、その写真を撮ってしまうことが無くなってしまうことを受け入れた・受け入れてしまうことに感じてしまいました。
でも別に写真を撮ることは全然悪いことじゃないし、俺も撮るときもあるし、複雑な感情になって、それはなんだろうなと思いました。イベントが無くなったのも悔しいし、怒りよりも自分はすごく寂しくなってしまったんです。コロナの話は本当に繊細だから、話し相手がいなくて、そうなるともう音楽しか自分には話し相手がいない。自分の話を聞いてくれるのが音楽なんで、それを曲にして、自分の気持ちを残そうと思いました。それで「No Picture」というタイトルにして、本当は「No Photo」だと思うんですけど、語呂が悪いので「No Picture」にしました。タイトルに込められてるのはそういう感じです。
片山享
本当に繊細な問題すぎて、なんとも言えないんですけど。あれは何なんだろうなと思うんです。僕の考えも正解だと思っていないのですが、僕もそういう場面に遭遇したことがあります。
無くなったものに対して写真を撮っていらっしゃる方がいて、なんかわかんないけどむかついていて、でもむかついてるのも失礼なのかなとか。だからもちろん止めれないし、どうしたらいいんだろうと思ってなんかずっとモヤモヤして監督に電話したんです。
電話したら監督がその前日に行っていて、「いやあ、でさー」という話をしたら、なんか同じような話をし始めました。
そうなると結構主観が強いわけです。もちろんこれが正解だと思っていません。安楽監督の映画の撮影に僕もずっと立ち会っていたので分かるのですが、安楽監督の作品って主観的な映画が多いから、今回の現場で、主観と客観とずっと戦ってる感じがありました。それを僕と撮影部の深谷さんで、監督が考えていることを2人で話し合いながらいろいろとやっていったのを覚えています。
あの時の安楽監督はどういう感情だったんですか。
安楽涼監督
コロナはさっきから言ってるようなことにはなるんですけど、この映画は撮るけど、僕は続けるということを選んだけであって、続けなかった人が不正解じゃないと思っています。
僕はコロナで会えなくなった友人もいっぱいいるし、もう二度と会えなくなった友人もいるし、そんなこともいろいろ考えながらこの映画を撮ろうと思いました。
それって僕が主観の感覚で全てを映画(画と音、音楽)で全て終わらせてしまうと、僕が正解だって思ってしまうと考え、まずは東京と向き合おうと思ったんです。この東京ってなんだろうと思って。
当時、緊急事態宣言下で全てが20時に消灯していました。20時以降も何かがやりたかった人たちがいっぱいいて、でも光は消されていて、それを僕は僕の目線でありながら、映画という客観性で撮りたいと思いました。だから、何かを伝えたいというよりは、今を撮ろうと思っただけなんです。何かを伝えたいというのは特になくて、「僕は続けるよ」っていう意思は伝えてるかもしれないけど、コロナって絶対に誰かが正解だと思えない、得体のしれないものだったから、誰もそれは判断できないと思って、客観性というものをずっと考えていました。
▼安楽監督からのメッセージ
安楽涼監督
今日は本当に来ていただきありがとうございました。この映画は観てもらってすべて見てもらうことが前提で作ったもので、きっと来年って、いろんなことがまだ全然変わらないかもしれないし、どうなるかわからないですけど、少しでも、ほんのちょっと今の未来がちょっとだけ明るくなったらいいなと思ってて、それで、わんちゃんが言ってくれたセリフとかを全て書いたんで、うん。何か少しでも希望になったらいいなと思っています。
■映画『灯せ』
監督プロフィール 安楽涼
東京都江戸川区西葛西出身。1991年生まれ。18歳のときに役者としてキャリアをスタートし、その後、自分が出演したいが為に映画制作を始める。映像制作ユニット「すねかじりSTUDIO」では、映画やMVの監督として活躍。『1人のダンス』、『追い風』と劇場公開作が続き、8/21より新作『まっぱだか』の公開が元町映画館で控えている
キャスト・スタッフ
出演:サトウヒロキ、円井わん、DEG、片山享、谷仲恵輔、藤田義雄、長野こうへい、辻凪子 ほか
監督/脚本:安楽涼 監督補:片山享 撮影/照明:深谷祐次 録音:林怡樺 坂元就 主題歌:DEG「No Picture」
2021年/日本/24分/カラー/ステレオ/アメリカンビスタ/DCP
公式HP https://tomose-film.wixsite.com/tomose
公式Twitter https://twitter.com/tomose_cinema
12/25(土)〜12/30(木) 6日間限定。池袋シネマ・ロサにて本公開!