11月12日(土)から、ポレポレ東中野にて、安楽涼監督『夢半ば』が公開。今回、安楽涼監督、幼馴染のDEGさん、役者仲間の柳谷一成さんにお時間をいただき、これまでの集大成ともいうべき本作に至るまでを安楽監督の少年時代から振り返り、思う存分お話しいただきました。
■映画『夢半ば』3ショットインタビュー
-まず前半は「監督と私」、後半は「作品について感じたこと」に分けてお話していただこうと思います。
まずは安楽さんと付き合いの長いDEGさんに幼なじみとしての話を聞かせていただき、柳谷さんには“役者と役者”、“監督と役者”の部分について聞いていこうと思います。
▼安楽涼監督の少年時代の夢 ~野球一筋~
-『夢半ば』を語るうえで、安楽監督の少年期から、「役者・監督:安楽涼」に至るまでの経緯を聴いてみたいと思います。
幼馴染みとして、DEGさんが知っている安楽さんの夢、役者・監督になるまでの経緯を聴かせてください。
安楽さんは野球選手を目指していたと伺っています。安楽さんの少年時代の夢はいつ頃、どういったことを始まりとしているのでしょうか?
DEG
小学3年の時にみんなで「葛西ファイターズ」(https://www.kasaifighters.com/)という少年野球のチームに入ったんです。
あんぼー(安楽監督)は当時から「プロ野球選手になりたい」と言っていました。
-安楽監督は野球をいつまで続けていたのでしょうか?
DEG
あんぼーは中学でも野球を続けていて、スポーツ推薦で高校まで行って、めちゃめちゃうまかったんですよ。野球は監督殴って辞めたんだっけ?
安楽涼
殴ってねえよ(笑)
もう本当に野球一筋で、趣味が野球しかなかったんです。毎日素振りしてランニングして…ということをずっと続けていました。
DEG
手にできて剥がれたマメを生徒手帳に入れて保存していたんですよ、あんぼーは。
安楽涼
確か松井秀喜選手か誰かが縁起担ぎか何かでやっていて、それを真似していました。
野球しか頭になかったですね。高校1年で辞めるまでは野球以外考えられませんでした。
-柳谷さんが役者を目指したのも、テレビで観ていた映画という話でしたよね。
柳谷一成
ジャッキーチェンが好きで、『ラッシュアワー』がめっちゃ好きです。
安楽涼
「ジャッキーチェンに似てるね」って言われない?
柳谷一成
言われるよ、専門学校友達から“ジャッキー”って呼ばれてた。地元の友達の一部からは“チェン”って呼ばれてた(笑)
▼俳優養成所への入所、転機となった映画
-役者を始めるにあたって、演技はどのように学んだのでしょうか?
安楽涼
できて2年ぐらいの養成所に通いました。
お芝居を学んだんですけど、僕は半端ない落ちこぼれでした。
ひとつも楽しくなくて、全然うまくできないし「何が楽しいんだろう、これ…」という感じでした。
二十歳くらいの時に新宿近辺に住んでいたんですけど、たまたま渋谷のユーロスペースの前を通ったんです。
その時に黄色いポスターが貼ってあったのが、真利子哲也監督『イエローキッド』(2010年)でした。東京藝術大学大学院の卒業制作の上映の時だったので、今から11年くらい前だったと思います。
それを観たんですけど、めちゃくちゃ面白かったんです
「自主制作映画っていうものが存在しているのか」ということが分かって、そういうところに行きたいと思ったんです。
▼柳谷さんがたどった役者への道
-安楽さんの役者の道への入り方を聞いてみて、柳谷さんの役者の道への入り方とくらべていかがですか?
柳谷一成
僕は映画館に行くことがほとんどなかったんです。
-確かテレビ放送やレンタルビデオで借りてきた映画を観ていたという話でしたよね。
柳谷一成
地元にレンタルビデオショップが1件だけあって、そこで借りて観るという少年時代でした。
-確か、出身は長崎県でしたよね。
柳谷一成
はい。映画館は佐世保の方に、三つ四つあったんですけど、それももう一軒しかなくなってしまいましたね。それで俳優になりたかったんですけど、どうしたらなれるかわからなくて、長崎から福岡にでて、モデル事務所に入って、ウォーキングレッスンとかをしていました。
DEG
ウォーキングレッスン!?(笑)
柳谷一成
「これが役者になる第一歩なんだ」と思ってやっていたんですけど、
DEG
「モデルのウォーキングがまさに第一歩目だ!」とね。
柳谷一成
レッスンを受けるモデルの人たちの中で、俺が一番身長が低いんですよ。みんな180cmぐらいあって、俺だけ身長低いなって思っていました。
俺、その時、めっちゃロン毛で、そこの社長に「俺、モデルになれるんですかねぇ?」って聞いてみたら、「大丈夫!ロン毛は今のとこいないから」って言われて、「俺って、ロン毛要員なんだ」って思いました(笑)
実は1回、Zepp_Fukuokaっていうところでランウェイを1回歩いたことがあるんです。
DEG、安楽涼
え!?マジ?
柳谷一成
その事務所主催のイベントでランウェイを歩いたんですけど、「なんか違うな…」って思って、その事務所は1年もせずに辞めましたね。
DEG
モデルから役者って、本田翼と一緒っすね。
柳谷一成
待って!モデル出身みたいに言わないで(笑)
▼安楽涼監督、はじめに撮影をしたのはいつ?
―安楽さんに話を戻しまして、最初にカメラを持って撮影を始めたのはいつですか?
安楽涼
二十歳くらいの時ですね。
DEGたちが大学生の時です。
DEG
そう、僕とRYUICHIと『追い風』(https://www.oikaze-film.com/)にも出てくる社長、タイラたちと一緒にラップを始めたんです。ダンスの余興みたいな感じで始めたんですけど、そのMVをあんぼーが撮ってくれたので、そこから始まっています。
安楽涼
その時は遊びの延長でやってましたね。やり方がわかんないからいろいろ学び始めたんです。
その後でDEGはグループを事実上解散みたいになりまして(笑)
DEG
結局みんなね、グループなんだけど目立ちたいっていう欲が出てくるじゃないですか。
RYUICHIは他の活動で忙しいし、みんな片手間でやっていたんですけど、僕は「これはもっといけるんじゃないか…」っていうことで、俺はやりたくて続けています。
▼衰弱期のピークと『弱者よ踊れ』
-役者になろうともがきつつ、MVの撮影もしながら、どのように映画につながっていったのでしょうか?
大きなきっかけになったのが、おばあちゃんの家に行って撮った『弱者よ踊れ』だったと記憶していますが、何歳くらいの時になるのでしょうか。精神的にまいってしまった時期だったとも耳にしました。
安楽涼
ばあちゃんちに行って撮った『弱者よ踊れ』は、25、26歳の頃です「俺、駄目だな」って本当に気付いたんです。
DEG
自分からみても、結構やばかったね。
安楽涼
DEGには会っていたんですよ。鳥貴族によく行ったのを覚えています。
DEG
鳥貴族で「いつもの!」って言ったら、シャンディガフが出てくるくらい、店員と仲良くなっていました。
安楽涼
当時は本当にうまくいかなかったですね。自主制作映画にはいっぱい出演の機会があって、出演はしていたんですが、全然上映されなかったんです。
その頃に出会った同世代の人たちがみんなうまいこと行く中で、「俺、マジで二十歳の頃と変わんないな…」って思ってしまったんです。自主製作映画を知って、努力をし始めた頃と何も変わってない現状に、自分自身が段々やばくなっていきました。当時の記憶がないこともあるんですよね。
DEG
かなり危なかったことがあったよね。「これはヤベえ」って。
安楽涼
土手にRYUICHIとDEGの二人が助けに来てくれたことがあったよね。
夜中に俺一人で土手にいた時のことを途中までは覚えているんですけど、急に
川が怖くなっちゃったんです。
目の前に川があって、それを見ながら危ない考えが浮かぶような感覚になってしまいました。
それで、自分でもこのまま一人でいるとやばいと思って、RYUICHIとDEGとのグループLINEか何かに「土手に来て」とメッセージを送ったら二人が来てくれて、その後に気づいたら、もう朝だったという。
DEG
この時のことははっきりと覚えてますね。ベッドで寝転がっていたら連絡が来て、ヤバイと思ったので、「すぐ行くわ!」って。
土手で見つけた時は、あんぼーは動けない状態でした。
安楽涼
朝になって家に帰って鏡を見たら、ありえないくらい目が腫れていました。
その出来事は多分『弱者よ踊れ』を撮った直後だと思います。
撮ったんだけど、結局状況が何も変わってないことから病んでしまって、「もう全部やめよう…」って思ってしまった暗闇の時期があって、3人で朝を迎える出来事があった時に、深く考えずに続けてみようと考えたのが、26歳くらいです。
▼RYUICHIさんのひとことからの復活
安楽涼
駄目な自分を一回撮ろうと思って『弱者よ踊れ』を撮ったんです。
RYUICHIが僕の実家のパソコンで観て、「これは多分、あんぼーの映画だわ」って言ってきて、「何かに出した方がいい」って言われて、コンペに出してみたんです。
その2ヶ月後にはながおか映画祭で審査員特別賞をもらって、続ける元気が出ちゃったんです。
-やはり、認められるって大事ですね。
安楽涼
辞めようと思ってあれは撮っていたけど、続ける理由ができちゃったから続けたんですよね。
25,26歳で辞めていても全然おかしくなかったと自分でも思っています。
▼安楽さんと柳谷さんの出逢い。お互いの印象
-お二人が出会ったのはいつでしょうか?
柳谷一成
『轟音』の撮影の時で、安楽さんの実家の車で福井まで行くことになって、それが初めてでした。
▽柳谷さんからみた安楽さんの印象
-『轟音』の撮影現場で、安楽さんの演技をみた時に、役者としての力とかエネルギーをどのように感じましたか?
柳谷一成
初めて『轟音』での安楽さんを見た時に、「うわあ、強いな…」っていう印象でした。
迫ってくる感じが安楽さんからして、すげえなって思いました。会うまでは「安楽って誰だよ」という感じでしたが、見た瞬間から嫉妬心みたいものは全くなかったです。
▽安楽さんから見た柳谷さんの印象
-『轟音』で柳谷さんの印象はいかがでしたか?
安楽涼
すげえ良かったんです。ヤナギーが。
すごいよくて、「これだ!この人だ!」と思ってDEGに速攻で連絡したのを覚えています。
DEG
しましたね~
-どの辺りが良かったという部分はありますか?
安楽涼
超、直観的だったんですよね。
僕は役者に対して基本的に嫉妬心の塊で生きてきたんです。人に対して病むくらい嫉妬してきたんですけど、ヤナギーに関しては、「うわ、出てほしい!」と思ったんです。
僕は映画のキャスティングに関して、顔が気になる人なんです。
“この人、映画の顔だ”って思う人が何人かいるんです。
『灯せ』の円井わんちゃんもそうだったし。ヤナギーもその一人なんです。それで、その後すぐに『地団駄』に出てもらいました。
柳谷一成
その撮影の後に、『1人のダンス』の公開があるという連絡をもらって、新宿K’s cinemaで観たら、「うわー、すげえおもしろいじゃん」って思いました。
『地団駄』の撮影は2、3日しかありませんでしたが、『1人のダンス』を観て、作品も面白いと思って、安楽さんがどんどん気になる存在になっていったんです。
■映画『夢半ば』について
-話を『夢半ば』に移していきたいと思います。
個人的に、安楽監督の一つの節目になる映画だと思いました。一区切りというか、もしかしたら、ここで区切りにしてしまう作品なのではないかという怖さや不安も感じました。これは、『夢半ば』を『志半ば』と間違えて捉えてしまった部分もあります。
もう一つの感想として、片山監督もコメントで語っていたのと同様に、安楽監督作品に象徴となる“怒り”の感情から“優しさ”というか“穏やかさ”を感じるものがありました。
映画を作り続けることの活動、ここ数年の身の回りの出来事、そこからの将来も含め、安楽監督のこれまでの人生のダイジェストに感じました。振り返りでもあり、いわば、集大成という感じがすごくしました。
-『夢半ば』というタイトルは、いつ頃決めたものなのでしょうか?
安楽涼
脚本の書き始めにはもうタイトルは『夢半ば』って決めていました。
▼『夢半ば』制作のきっかけ
-『夢半ば』を撮ろうと思ったきっかけは?
安楽涼
きっかけは、30歳になるから、その前に何かを撮ろうと思ったんですけど、それは叶わなかったんです。30歳になるにあたって、脚本を書こうと思って。脚本の描き始めに『夢半ば』っていうタイトルをつけた理由は、DEGの存在が大きくて、DEGの劇中の台詞で「遊ぶやつがいなくなったら、俺は独りだからな」みたいなセリフがあるんですけど、あれってDEGが俺に今まで言ってきた言葉なんです。
30歳で別のことというか、ある程度、道を変えようといろいろ考えていたんです。でもそれはなんか違うなと思ったんです。
まだ全然、映画を続けるけど、ちょっとひと区切りは1回付けるかもしれない。
何かそういう意味で俺は『夢半ば』ってタイトルをつけていて、これは映画を観てくれたRYUICHIも言ってくれていたんですけど。
「これはDEG向けの映画だな。」って言っていました。
▼DEGさん向けの映画とは。タイトルをみて感じたこと。
-DEGさん向けの映画だと言われてみていかがですか?
DEG
そうっすね。観たときには俺向けとは思わなかったですけど、でも映画を観た後にめちゃめちゃ元気になったし、嬉しい気持ちになったんで、だから、そういうことなんでしょうね、結果として俺向けの映画だったんだってことでしょうね。
-今までお話を聞いてきた中でも幼なじみとかDEGさんの存在は大きいんだろうなって思いましたね。
いろんな過去作品も含め、人間関係もいろいろ入っていて本当に総決算という感じはしていますね。
『夢半ば』というタイトルの作品を撮るということで声がけをもらった時の感想はいかがですか?特に身近なDEGさんにとっては、インパクトはなかったでしょうか?
DEG
特にインパクトはなかったですね。「ああ、撮るんだ」という感じでした。
-同じ質問で、柳谷さんはいかがですか?
柳谷一成
僕も『夢半ば』というタイトルには特に引っ掛かるところはなかったですね。
脚本に目を通したときに、先ほどの言葉でいうと、集大成的な考えが頭に浮かんで、安楽さんの長編三部作最終章的な感じに受けとりました。
最初の印象は、この映画は3、4時間ぐらいになるんじゃないかと思っていました。
▼脚本を最初に読んだ時の感想
-オファーの時には脚本もあわせて渡されたと思うのですが、それを読んでいかがでしたか?
DEG
めちゃめちゃ泣きましたね。めちゃめちゃ泣いて、「最高だった」って言った覚えがあります。
-出演する中でも特にご本人としてのウェイトが大きいですものね
DEG
そうですね。
でも“怒りがない”といったことは全然思いませんでした。集大成とかひと区切りだなっていうのは思いましたけど。
すげえ、面白くて、いい脚本だなと思いましたね。
-集大成という部分で次へのステップなのか、逆に終止符を打ってしまうのかっていう、そういった不安感はありませんでしたか?
DEG
そういった不安感は全く思っていなくて、逆にまだ続いていくんだなって思いました。
脚本を受け取って読んだ時期、撮影の時期にも何か「寂しいな…」って思うようなことが続いていたので、撮影を続けていく中で俺はいい一区切りをつけてもらったし、この後も続くんだなって思いました。
-柳谷さんは脚本を読んだ時の感想はいかがでしたか?
柳谷一成
内容は明るい未来について描かれていると思いました。
素直に嬉しかったです。
作品に出ていいか、個人的に思うところがあったのですが、よく考えてみて、今の僕で大丈夫だったら大丈夫かと思って、出演を決めました。
DEG
ヤナギーのシーンがあるかないかじゃ全然違うよね、この映画。
安楽涼
ヤナギー、めちゃめちゃ良かったっすよ。
柳谷一成
『夢半ば』の撮影はとても自然で、お芝居している感じが全くなかったですね。みんな本人で出ているっていうのはあるんでしょうけど。
DEG
俺、めちゃめちゃ芝居してますよ。
安楽涼
してねーよ、めちゃめちゃ噛んでたじゃん(笑)
▼怒りは愛情表現
安楽涼
“怒り”に関して観てくれた人にもよく言われるんですけど。
確かに怒りはなくなったと思っているんです。ただ俺は外にはいまだに怒っているし。
これが何が違うかって明らかに大切な仲間としか撮ってないんです。大切な仲間のことしか書いていないんです。
その仲間に対しての怒りはなくなりました。DEGやRYUICHI、恋人だったり、いろんな、今のバイトしている場の店長とかいろいろ出てくるんですけど、それに関してはもちろんなくなったと認めるんですけど。
DEG
結局ね、『1人のダンス』もRYUICHIへの愛情だし、『追い風』も俺への愛情だし。
安楽涼
そう。だから愛情を怒りとして表現していただけかもしれないけど。
DEG
だから別に変わってねえよな。
安楽涼
愛情無いやつにはいまだに怒ってるし、いまだに「マジで二度と近づくな」っていうやついっぱいいるし。
『夢半ば』を公開して、俺が優しいと思われて、よくわかんない奴から喧嘩を売られたら、マジでむかつくなと思います。
DEG
書いておいてください(笑)
安楽涼
それだけはマジで納得いかねえなって思います。
DEG
牙が抜けたって思われたらな。むかつくよな。
-怒りが消えているわけじゃないですもんね。
安楽涼
根底から怒りが無くなるわけじゃないんですからね。
▼完成した映画を観ての感想
-脚本を読んだ時と比較して、撮影して完成した作品を観ての感想はいかがですか?
DEG
もうびっくりするくらい面白かったです。
あんぼーは「どう見られるか、ドキドキする」と言ってたけど、「胸張ってください!」って思うぐらい面白くて、RYUICHIも俺向けの映画だって言ってくれたけど、寂しいなってずっと思ってたのが消えた…というか、何も終わってねえや、続いていくなって思いました。
ちゃんとあんぼーらしさがあり、あと大須ちゃん(大須みづほ)が化け物だなって。
安楽涼
大須ちゃん化け物だよな。
DEG
俺とRYUICHIが大須ちゃんに負けた物語でもあるので。西葛西にとんでもない化け物がやってきたっていう怪獣映画なんで。いやもう本当、面白かったですね。
-柳谷さん的にはいかがですか、脚本読んで、撮影されて、作品を観ての感想は。
柳谷一成
作品がシンプルに面白くて、最後の方に2人のバックショットがあるじゃないですか。大須さんに安楽さんが、指でほっぺたに触れるシーンが大好きで。
もうね、あれ、あれだけで何て言うんすかね、勝ち負けじゃないですけど、この映画は勝ちだと思いました。
あれを観たさにっていうとあれですけど、あのショットだけで、本当に素晴らしいなと思いましたね。
脚本の段階ではそういうのってわかんないじゃないですか、やっぱストーリーっていう物語しかわからないので、映像になったときにすごいと思いました。
▼これまでと、これからと
-安楽さん的には、これまでの夢の途中・ひと区切りみたいな部分があって、ちょっと不安に思ったのが、今まで仲間と撮ってきたものが、まるっきり違う方向に行ってしまうのではないかと思ってしまう恐れも感じました。
これまでと、これからとで何か変える、もしくは変えない、そういった思いは安楽監督の中にありますか?
安楽涼
やりたくないものはやらないし、やりたいものはやるし、やりたいものに一番時間をかけようと思うし。だから急に1年後に撮りたくなったら撮っているかもしれないです。
よくわからない映画を撮って、「本当にこれがやりたかったの?」と思ってしまう映画を撮っている人っていっぱいいると思うんです。そういう人にだけは絶対ならない。
そういうのを見ているのが僕には結構きついんで。
柳谷一成
そういうのって結構多いじゃないですか。あれなんなんですかね。
安楽涼
あれは多分生きていく術(お金)だと思うんですよね。
俺はそれよりも、生きていく術は“映画”だから、金はもう別で稼ぎます。
そういうダサい監督にはなりたくない。
DEG
ここ、書いてくださいね(笑)
■お客様へのメッセージ
-お客さまへのメッセージをお願いします。作品に関してどう捉えるかは、“観る人に委ねます”という言い方もありますが、いかがでしょうか?
柳谷一成
僕は特にないです。
DEG
俺からのメッセージは…。「俺の芝居見てください」ですね(笑)
俺も思うんですけど、委ねる映画ではないんですよね。
劇場で会いましょう。
安楽涼
『夢半ば』に関しては、確信的に思ったことがあって撮っているから、観る人に委ねるという感覚もないんですよね。
余白だらけの映画なんですけど…。
-私は、安楽監督の今までの作品を観てきたので先ほどの“集大成”というか、これまでの映画や実際に身の回りに起こった出来事が思い出されて、グッと来てしまうところがありました。
不安とはまた違うのですが、この『夢半ば』で初めて安楽監督作品を観る人はどういう印象を受けるのだろうという考えは浮かびました。
安楽涼
それは俺も不安だったんですけど、こないだ俺のことを微塵も知らない人を試写会に髭野プロデューサーが連れてきてくれて、その人たちに「すごい面白い」って言ってもらえたので、可能性があるんじゃないかと思っています。
-それは確かに思います。集大成でもあり、いつもと違うぞという感覚もあり、今までの作品のなかで、特に魅力ある作品だなと感じました。
安楽涼
今は、“次の作品を作る”っていうよりも、“この映画を作って公開する”ことが僕には重要で。
そのことを手をかけずに放っておくことはできないから、観てくれた一人ひとりに、できるなら会いに行きたいし、手放しにして、別に批判を受けても全然いいんだけど、手放しにするっていう感覚がないから、余計にだから今は次を考えたいって思わないから、お客さんと一緒に楽しめたらいいな…というのが今思っていることです。
▼『夢半ば』ポレポレ東中野 公開スケジュール
『夢半ば』ポレポレ東中野 公開スケジュール
・11月12日(土)〜11月25日(金) 連日20:20の回
・11月26日(土)〜12月 2日(金) 連日20:30の回
■ 映画『夢半ば』 作品概要
あらすじ
映画監督の安楽は30歳を目前で映画が撮れなくなってしまった。憧れであり共に映画を作ってきた地元西葛西の友人リュウイチは結婚を機に地元を離れた。同棲して4年になるみちことは結婚の話も浮上している。今撮りたいものは何なのか。友人と掲げた夢は終わってしまうのか。安楽は撮る事を通して自らを模索していく。
出演
安楽涼 大須みづほ DEG RYUICHI 長尾卓磨 ジジ・ぶぅ 柳谷一成 MEEKAE 大宮将司 江田來花 ジン クー 片山享 ほか
監督・脚本:安楽涼 プロデューサー:髭野純 監督補・共同脚本:片山享 撮影・照明:深谷祐次 録音・MA:坂元就 音楽:菅原慎一 エンディング曲:RYUICHI「夢半ば」 編集:大川景子 スチール:杉田協士 宣伝デザイン:中村友理子(HOOH)英訳:服部きえ子 助成:文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業
製作・制作:すねかじりSTUDIO 配給・宣伝:すねかじりSTUDIO/イハフィルムズ
(2022年/135分/5.1ch/アメリカンビスタ/DCP/映倫「G」区分)
公式サイト:https://yumenakaba-movie.com/
Twitter:https://twitter.com/yumenakaba_film
安楽涼監督『夢半ば』、11月12日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開