7月30日(土)から池袋シネマ・ロサにて、映画『雨の方舟』が公開される。今回、瀬浪歌央監督と主演そして本作のプロデューサーも務める大塚菜々穂さんにお時間をいただき、本作制作のきっかけから撮影時のエピソードなどをたっぷりお話いただきました。
左)大塚菜々穂 右)瀬浪歌央監督
- 1. ■ 映画『雨の方舟』監督、キャストインタビュー
- 1.1. ▼本作制作のきっかけ
- 1.2. ▼“滅びゆく文化”、瀬浪歌央監督が遺したかったもの。
- 1.3. ▼彷徨う塔子はどこへ向かっていたのか
- 1.4. ▼タイトル『雨の方舟』について
- 1.5. ▼食卓での配置に関する指摘と考え
- 1.6. ▼監督と脚本担当と
- 1.7. ▼瀬浪監督からみた大塚菜々穂さんの魅力
- 1.8. ▼岡山を撮影地に選んだ理由
- 1.9. ▼大塚さんとロケハン先でのエピソード
- 1.10. ▼モチーフとして伝説の利用は?
- 1.11. ▼作品内に登場する女性シンガーソングライターの歌詞
- 1.12. ▼森の小人を使った理由
- 1.13. ▼監督を目指したきっかけ
- 1.14. ▼女優・俳優を目指すきっかけ。
- 1.15. ▼二人の出会い
- 1.16. ▼大塚は私の分身
- 1.17. ▼プロデューサーを依頼されて・・・
- 2. ■お客様へのメッセージ
- 3. ■ 作品概要
■ 映画『雨の方舟』監督、キャストインタビュー
▼本作制作のきっかけ
-まず監督に質問したいと思います。本作製作のきっかけに「私たちは滅びゆく文化だ」といった言葉があるそうですが、このきっかけについて詳しく教えていただけますか。
瀬浪歌央監督
「滅びゆく文化だ」というのは祖母の兄が岡山の山を見ながら言っていた言葉なんです。祖母の実家が岡山にあって、まず一つ目として、そこの風景を何かしら残したいという考えが昔から漠然とありました。
そこで卒業制作で映画を撮ろうとなったときに、岡山のその土地を撮りたいと思ったんです。なので一度きちんとした目線で、祖母の実家を見に行こうと思って行ってみたんです。
そこに小さい頃は毎年一回は行っていたんですけど、小さい頃から比べると、風景が変わっていて、野菜を育てていたところがもう育てていなかったり、川で遊んだり、どじょうすくいをしていたところに、木が覆いかぶさって、もう入れなくなっていました。
昔の記憶と今の風景はやはり違っていて、その時に祖母の兄が、「ここは滅びゆく文化なんだ」ということを言っていて、“滅びゆく文化”という言葉が私には響いて、「それってどういうことだろう?」と考えたときに、人自体も滅びゆく文化だと思ったんです。
もう一つは、街を歩いて毎日通っている場所で、工事で建物がなくなっていったりするじゃないですか。それって、無くなった時に、「ここに何が建っていたんだろう…」って考えると、もう思い出せないことが結構あったんです。
無くなったものを「ここに何があったんだ…」と、なくなったものを感じられる・みられる・考える、その風景を今、残せるような映画を作りたいと考えたことが始まりでした。
▼“滅びゆく文化”、瀬浪歌央監督が遺したかったもの。
-“滅びゆく文化”について、瀬浪監督が抱いているイメージについてお話をきかせていただけますか?
瀬浪歌央監督
社会的な文化というよりは、人や建物のことになります。一番に考えたのは、おじいちゃんやおばあちゃんといった、人間が滅びゆく文化だと感じました。
私自身が“滅ぶ”といっていいのかわかりませんが、滅びゆく意識みたいなものって、例えば、人は老いていくじゃないですか、私たち自身はそこに特別に目を向けているわけではありませんが、私は、人間が一番滅びゆく文化なのではないかと考えたんです。
深い意味での文化というよりは、風景や人そのものという意味合いです。
今は都会や東京では、“隣の人が誰だか知らない”と私も実感します。
おばあちゃんたちが話にやってくることは、地元では隣同士「みんなが知っている」といった感覚があったので、話にやって来る習慣をもった層の人たちについて、大事にしたいと考えました。
自分の中で、おじいちゃん、おばあちゃんが「元気か?」と話にやってくる習慣がいいなと思った点があって、それも文化のひとつと思ったんです。
▼彷徨う塔子はどこへ向かっていたのか
-冒頭、塔子が森の中で迷い、村にたどり着くまでの背景にはどんなものがあったのでしょうか?
瀬浪歌央監督
この話を作るときに、三つの層に分けた世界を考えていました。ひとつは、“私たちが普段生きている世界”、もうひとつは、“おじいちゃん、おばあちゃんが出てくる世界”、3つ目は、“4人が住んでいる世界”と、3層に分かれている感じでつくっていました。
その中で、一番下に位置づけた“私達が普段生きている世界”が嫌になった女の子が何も考えずに、1回ちょっとリフレッシュじゃないですけど、山に散策しに行ってみようと思ったところに、“4人が住んでいる世界”にたどり着いた流れになっています。
-塔子は、何かから逃げているのか、どこかへ向かうのか、ただどこかから離れたいだけなのか、そういったことを考えました。
瀬浪歌央監督
途中からは、何かに導かれているようなイメージがありました。何かに追われているというよりは導かれている、でも、導かれようとしているわけではない感じなんです。
▼タイトル『雨の方舟』について
-“方舟”というと“ノアの方舟”のイメージが強く、“雨”というと、“ノアの方舟”から“洪水伝説”を連想してしまう部分がありました。
タイトルについてお話いただける点がありましたら教えてください。
瀬浪歌央監督
“雨”は岡山が“晴れの国”と呼ばれている点から、たまたま雨が降った日に、そこに迷い込んでしまった女の子…が導かれた場所で、本作では、塔子がたどりついた“家”という存在が“方舟”と考えています。
晴れの国で雨が降ったという点と、雨が降った日にそれに導かれて、あの家にたどり着いた。
あの4人が生活しているのは、“舟”という意味合いです。
そこで、三つの層で考える話になるのですが、それぞれどの層を自分で選択し、そこに居続けるのか、それとも違う場所に行くのか、きちんと自分と向き合える場所というイメージで考えています。
▼食卓での配置に関する指摘と考え
-以前の作品で食卓を囲む際の「配置がおかしい」との声があったそうですが、どういった話がなされ、本作にどういった影響があるのでしょうか?
瀬浪歌央監督
前作の短編映画のときに食卓を囲むシーンがあったんです。そのシーンのときに、「普通はそういう感じに座らないよ」とスタッフ達に言われたんです。
-ごはんと汁物の配置ではないんですね。
瀬浪歌央監督
例えば、お母さんとお父さんの座る位置ですね。それを言われたのですが、私自身は、みんなが“普通”と言っている配置・着座位置があまりわからなかったんです。でも「それを私が描かなきゃいけないのか?」と思ったときに、どうなんだろうなと思ったんです。みんなが言う“普通”じゃなくてもいいし、私の中の普通はそれとは違うので、みんなが言う“普通”とはまた違った食卓を描きたいと思った背景があります。
-ご飯と汁物の配置ではなく、日本の食事作法での座席配置についてのことなのかもしれませんね。
-ちなみに、食卓を俯瞰で撮影する視点にはどういった狙いがあったのでしょうか。
瀬浪歌央監督
普段では見られない目線から撮りたいという気持ちはありました。最初の森のシーンの俯瞰や森の中での誰かの目線といったものは、作品に入れたかったので、その目線だとおもいます。
最初と最後でみられると思うのですが、その目線というと“俯瞰”でした。最初と最後との対比が大事だなと考えていて、そこを浮き出させるものを考えたときに“俯瞰”という目線になりました。
▼監督と脚本担当と
-脚本は松本さんという方がいらしたそうですが、監督の思いを脚本を書く側へ伝えるにあたってどういったやり取りが行われましたか?
瀬浪歌央監督
毎日ずっと一緒に書いていましたね。
私が「もっとこうしたい、こうしてみたい」と言って、それを脚本に落とし込んでもらう感じでした。そこには大塚も一緒に参加していたので、「塔子目線で言うとどうなのか」といったことも考えてもらっていました。
脚本については、監督と脚本担当の住み分けといったものは無かったです。話のきっかけと軸は私がすべて伝えたものを脚色してもらいました。
▼瀬浪監督からみた大塚菜々穂さんの魅力
-本作で主演として選んだ大塚菜々穂さんの魅力は?
瀬浪歌央監督
短編『パンにジャムをぬること』を経て、大塚と映画を撮りたいというのが私の中にありました。
大塚菜々穂
いろいろ反省があったんです。
撮影した後に2人で「あのとき、こういうことをもっとこうしたらよかったよね」と、話をしたらきりがなくなってしまって、「これは次を撮るしかない」という話になったんです。
瀬浪歌央監督
そうなんです。そういう風に思っていて、だから主演で使いたいというよりも、もう一度、大塚と映画を作りたいという思いでした。
そんなことがあって、『パンにジャムをぬること』は演技ももちろんありますけど、演技プラスアルファ、ちょっとドキュメンタリー要素…も入れ込んだ劇映画といえるのではないかと思ったんです。
そういうところがあると感じたので、役として大塚にやってほしい・やってみたいというのがありましたし、反省というか、ステップアップして撮りたいとおもいました。
お客さんに「大塚の眼がいい」と言っていただけるんですけれども、私もそこはいいなと思います。
見ていたくなる眼というか、何か危うさみたいなのがあると個人的に思っています。
脚本の松本と話していたのは「大塚って赤ちゃんみたいな危うさがあるよね」といった話で、めちゃくちゃ無邪気な時もあれば、その一方で何も考えずに人を傷つけられそうな危うさもあるみたいな、赤ちゃんも考えずに何かやっちゃったりするじゃないですか。そういう何かがあるねっていうものが大塚にはあると感じたので、すごくそこを魅力だと感じました。
大塚菜々穂
これって大丈夫ですか?(笑)
瀬浪歌央監督
うまく言えないんですけど、そのアンバランスさみたいなものがあると思うので、そこが魅力だと思います。
大塚菜々穂
瀬浪の話にもありましたが、ずっと反省の繰り返しなんです。『パンにジャムをぬること』から始まって、『雨の方舟』を撮ってもやっぱり、「あの時こうしておけばよかったな」ってなるし。
また次の短編を撮ったりもしたんですけど、「やっぱりもう1回長編を撮らないとな」ってなっています。それが続いてきていますね。
瀬浪歌央監督
大学時代から誰かと比べるものではないですけど、大塚は一番劇場や単館の映画館に籠っていて、「こないだ、そこで大塚にあったよ」と言われることが多かったです。
そういう、映画が好きで、映画を観て学ぶ俳優であることを知っていたので、その要素や好きな映画も感じ方も違うところが面白さとしてあって、人間的として面白いと思います。
大塚菜々穂
これはいい時間ですね。もっと言って(笑)
▼岡山を撮影地に選んだ理由
-岡山を選んだのは監督の祖母が生活されているご自宅があったからなんですよね。
瀬浪歌央監督
はい。祖母が住んでいる実家があったからです。
大塚菜々穂
4人が住んでいる家の外観は、瀬浪の祖母のご実家を使わせていただいています。家の中は京都の京丹波で別に撮影しているんです。
▼大塚さんとロケハン先でのエピソード
-映画に登場するおじいさん、おばあさんは、大塚さんがロケハンの中で見つけてきたそうですが、ロケハン時のエピソードを聞かせてください。
大塚菜々穂
ロケハン自体はみんなで手分けしていて、私も1人で岡山にロケハンに行きました。大阪からバスに乗って2時間ぐらいで行けるので、日帰りで行ったりもしました。
そんな中で、撮影させていただいた美咲町で撮影に協力してくださった方がいて、その方が美咲町の方達を紹介してくださったんです。
その方と一緒に一人ひとりお話しに行って、「ぜひ出演していただけませんか」とお願いしていきました。すると、皆さんすごい快く受け入れてくださったんです。
「服はこれでいいんか?」と言ってくださったり、本当に皆さんと一緒に作りました。
撮影では、事前に流れをお伝えして、練習を何回かして、撮影しました。みなさんお芝居は初めてだったのに、セリフも覚えてきてくださったり、楽しんで撮影に参加していただいてとても有り難かったです。美味しい差し入れもいただいて、すごい温かいところでした。
-今回は、フィルムコミッションは介していないんですよね。
大塚菜々穂
フィルムコミッションは介していなくて、たまたまその協力してくださる方に出会えたおかげで、ロケ地だったり、小道具やドラム缶の準備も手伝っていただきました。案山子なども、その美咲町の皆さんが、協力してくださったんです。
瀬浪歌央監督
案山子は現地で準備していた時にたまたま「お前ら、それじゃ駄目だよ~」と話しかけられて、「え!?誰?」みたいな感じだったんですけど、その方が作ってくださったんです。
▼モチーフとして伝説の利用は?
―岡山といえば、桃太郎。桃太郎といえば鬼といった昔話や伝説がありますが、作品に対してモチーフとして利用した部分はありますか?
瀬浪歌央監督
鬼自体は、撮影中に入れていたんですが、編集で切ってしまいました。
鬼の目というか、誰かの目線(俯瞰)というのは鬼の目線なんです。
大塚菜々穂
岡山のことを調べていくと、鬼と雨(桃太郎、晴れの国)がキーワードとして引っかかってきたんです。それらが使えるんじゃないかという話になって、雨と鬼がキーワードとして出てきました。鬼は最初はもうちょっと映っていたんですけど、全部編集で切ってしまったので、キーワードだけになっています。
-鬼の部分をカットした理由はありますか?
瀬浪歌央監督
再編集の段階で「要らない」というか、見せないほうがいいなと思ったんです。
大塚菜々穂
美術のメンバーが一生懸命作ってくれたので申し訳ないんですけれども…。
瀬浪歌央監督
実体として見せない方がいいという判断でした。
▼作品内に登場する女性シンガーソングライターの歌詞
-作品内で中島みゆきさんの「砂の船」の歌詞が登場しますが、これに関するエピソードはありますか?
大塚菜々穂
編集が終わって、整音をしている段階であの部分に何かが足りないんじゃないかっていう話になったんです。そこで、“舟・船”というキーワードが入っていると思うんですけど、それにまつわる言葉を何か入れたいなと思って探したんです。瀬浪が見つけてきたのが、あの曲でした。
あれは瀬浪と私の2人で録ったんです。大学の教室で「ちょっと読んでみて」って言われて読んでそれを使ったんです。
-瀬浪監督は、中島みゆきをよく聴くのでしょうか?
瀬浪歌央監督
全然聴かないんです。バーっといろいろ調べてでてきただけなので。
あの世代だと忌野清志郎は聴いているくらいで…
▼森の小人を使った理由
-「森の小人」を使った理由は?
瀬浪歌央監督
担当教員の鈴木歓さんに、脚本を書いているときから、私たちが煮詰まると、「ここをこうしろ」といった具体的な指示じゃなくて、本などを渡されるんです。「これを読め」と言われるので、それを読んで内容を変えていくことをしていました。
読むことそれ自体がヒントのような感じです。いくつか昔ばなしを探してみようとなった時に、何個か歓さんが聞かせてくれて、その中で「森の小人」を聴いていいなと思いました。
シーンとした川と合うなと思いました。また、少し怖さを感じてもらうためにスタッフのみんなに歌ってもらいました。
-童謡の曲の怖さといえば、「はないちもんめ」みたいなものも効果として使われることがありますよね。
瀬浪歌央監督
曲調として、そういう形で作りたいという部分はありましたね。
歌詞を調べてみて、「これだったら、ここにいいね」というのはあったと思うのですが、曲自体が発想の元になっているわけではないんですよね。
▼監督を目指したきっかけ
-監督を目指したきっかけについて教えてください。
瀬浪歌央監督
きっかけは、中学3年のときの生きる楽しみというと大げさですけど、ドラマや映画を観たり本を読んだりすることがあったんです。
「明日、これを見なきゃいけないから頑張ろう」といったことを考えていました。そこで「将来何になりたいんだろう」と考えたときに、映像への恩返しができたらと思ったんです。こういった世界で作品を作る人になれたら面白いなと漠然と思ったことがひとつと、本の実写化ってあるじゃないですか。実写化された時に、私は本を先に読みたいタイプなんです。実写を見ると、「うわ、私のイメージと違った…」ということがあり、自分だったらこうしたかったなと思うことがあって、それならば自分で作ってみたいと考えるようになったんです。それもきっかけですね。
-興味を持った作品として宮藤官九郎さんの作品の話をされているのを読みました。
瀬浪歌央監督
ドラマを最初に好きになったきっかけが宮藤官九郎さんと坂元裕二さんが書かれている作品でした。それから、生まれる前の90年代のものまで遡って見ていくようになりました。でもそれってもう尽きてしまうじゃないですか、ドラマって残っているのがビデオカセットだったりして、徐々にみられなくなっていきましたし。
なので、90年代のドラマで見るものが無くなってから、映画を観るようになり、映画の面白さを知りました。
高校生になって進路を本格的に考えたときに、映画を作ることを学ぶ学校に行こうとおもいました。
-高校時代は、カメラ持って撮影した経験はありましたか?
瀬浪歌央監督
カメラは持っていたのですが映像は撮っていなかったんです。ただ映画を作るために今の自分に唯一できることって何だろうと考えたときに、構図を学んでおいたらいいんじゃないかなという考えがあって、カメラを買って、写真をずっとやり続けていました。
あとは本を読むとか、学校ではミュージカルをやらなければいけなかったので、文化祭で公演するものの脚本を書いたりしていました。
▼女優・俳優を目指すきっかけ。
-大塚さんが俳優を目指したきっかけは?
大塚菜々穂
私は元々映画が好きだったとかではなく、人前に出たり、表現することが小さい頃から好きでした。漠然とした憧れで、小学生の頃から「女優さんになる!」みたいなことを言っていたんです。でもそこまで本気で考えてなく、平和に女子高生をしていて、いざ大学進学となったときに、「やりたいことはなんやろ?」って考えたときに、やっぱりお芝居をやってみたいと思って調べたら、京都造形芸術大学があったので、そこに入りました。
本格的にお芝居の授業を受けたり、映画を観たり、映画のことを知っていったのは、大学に入ってからになります。それは先生たちからもですし、同期もみんな、映画好きの人たちがいっぱいいたので、同期からも学びながら、今に至ります。
-芸能活動はそれまではしていなかったんですか?
大塚菜々穂
全然していなかったです。最初はとにかく憧れですね、キラキラしているように見えたんですよね。
小中高の文化祭的なものでは好きでお芝居をやっていました。思い返すと小学生の頃から、脚本を書いて、「この人は、この役で…」みたいなことを進んでやっていて、それって今やっていることと繋がるなと思いました。
▼二人の出会い
-お二人の出会いを聞いてみたいと思います。
瀬浪歌央監督
大学に入って3年生のゼミが一緒でした。そこでつくったのが短編の『パンにジャムをぬること』でした。そこからですね。次も撮ろうとなって作ったのが『雨の方舟』になります。
-大学1、2年のときの接点はいかがでしたか?
瀬浪歌央監督
普通に知ってはいて、話してはいた…というくらいでしたね。大塚が一緒にいた子とは制作・助監督を一緒にやっていたので、その子と喋っている時に、大塚とちょっと喋るぐらいでした。
大塚菜々穂
特別そんなに深く話すわけではなかったです。
まさか3年生の時に一緒に映画を作って、それが今でも続くなんて思ってもいませんでした。
▼大塚は私の分身
-監督のインタビュー中で「大塚さんは私の分身」という言葉があったのですが、この件についてお話を聞かせていただいてもよろしいですか。
瀬浪歌央監督
この言葉の意味合いは、大塚には伝わっていると思うんですけど。卒制(卒業制作)のことで『雨の方舟』の話をしていた時に、作品を作るためには監督とは別に、プロデューサーを立てなければいけないという条件があったんです。
企画から「こういうのを作りたい」と話している中で、監督ではなく、プロデューサーが発言をしなければならないタイミングがあったんです。
大塚菜々穂
企画の審査があって、その時に発言できるのは、プロデューサーの人だけっていう学内での決まりがあったんです。私たちの代が初で、最初で最後だったんですけど。
瀬浪歌央監督
そのときに、きちんとしていないところって監督が喋りたくなってしまうと思うんですけど、大塚は私が思っていることを全部わかってくれているという感覚がありました。企画から脚本、そして最後まで、私が思っていることを大塚はわかってくれているなっていう信頼があったんです。
1人でロケハンに行ってくれていたとしても、確かな軸の中で動いてくれているという信頼があったんです。そういう意味での分身ですね。
私たちは性格は真逆で、全然違うんですけど、短編の時から一緒にやっているので分かってくれている信頼という意味合いですね。「私が思っていることをわかっているだろうな」という感じです。
-分身と言っても、お二人のタイプが違うように見えていたんですよね。
瀬浪歌央監督
本当に性格は真逆なので、作品作りとして“一番理解してくれている人”といった意味合いです。
▼プロデューサーを依頼されて・・・
-プロデューサーを依頼された時に「でもやっぱり俳優1本でやりたかった」といったコメントを見ました。プロデューサーの依頼を受けたときの印象や引き受けるまでの葛藤はいかがでしたか。
大塚菜々穂
卒業制作は瀬浪と作ろうとは、思っていたんですけど。
プロデューサーってなったときにプレッシャーがありました。もちろんやったことがなかったし、そういう授業を受けてきたわけではなかったから、「まずプロデューサーとは?」ってなりました。
でも、プロデューサーとは何かわかってないけど、とりあえず私ができることをやって、さっきの話のように瀬浪とは性格も得意なことも逆なので、私ができないことを瀬浪がしてくれて、瀬浪ができないことを私がやるという形だったらできるんじゃないかと思いました。
プロデューサーって言葉を聞くと重く感じるんですけど、そんなに重く考えずに、私ができることをやろうと思いました。
-不思議に思ったのは卒業後もプロデューサーなんですね。
大塚菜々穂
そんなことは思っていなかったんですけどね。「先生たち、先に教えてよ!」って感じです。
瀬浪歌央監督
梅村組の『静謐と夕暮』の唯野くんも手探りで考えながらやっていたいとおもいます。本当に試行錯誤しながら、今、大塚も走っていると私は思います。
【参考】
日常に誰もが誰かを思うその人の記憶がある。『静謐と夕暮』は記憶の映画になる。
https://www.1st-generation.com/?p=675
大塚菜々穂
大学の期間の授業だけでは映画の宣伝や資金集めを学ぶ時間が足りない気がしますね。大学4年間では、やっと私達が卒業制作で長編を撮るまで学べて、その後のことまでは4年間では足りないと思いました。
瀬浪歌央監督
公開というと、映画祭から1年後くらいですし、例え教えられていたとしても、言葉でしか知ることが出来ないので、在学中にこうやって宣伝をしていくんだよって言われたとしても、実際やってみると違うので、教えてもらったとしても、自分たちが全部理解できたかっていうのはまた別かなと思いますね。
-確かに映画製作の技術とは離れた別のスキルですものね。
大塚菜々穂
確かに別ですね。お金集めのこととか、営業とか、今まで映画を作ってきたこととは全く別の作業で難しいですね。「プロデューサーってこういうことなんや」って学びながらやっています。
-自主配給の方で、プレスリリースの書き方がわからないといった声も聞きますものね。
■お客様へのメッセージ
-それではお客様へのメッセージをお願いします。
瀬浪歌央監督
この映画が他と一番違うのは、大学4年生の時に同級生・学校の仲間と作った作品であることです。これはその時にしか撮れない・今後撮ることが出来ないと思います。
その4年生の時の熱量ってその時にしか描けないものが撮れていると、いま自分が見ても思うので、その時にしか見れないものが映っていると思っています。
私たちの熱量も、おじいちゃんおばあちゃんたちが映っているシーンも、大学4年生の時まだ社会に出てないところや、風景という、その時にしか見られないものが映っていると思います。それを、観に来ていただきたいなという思いが一番にあります。
また、あまり言葉が多かったり説明している映画ではないので、観に来ていただいて、その後自分で噛み砕く作業ができる映画だと思っています。そこで考えていただけたらなと思います。上映後にずっとお話できたらと思っています。
ちいさなスマホの画面で観るよりも、映画館の大きな画面を観ていただいた方が、伝わる映画だと思っています。なので、劇場で観ていただきたいです。
大塚菜々穂
この作品は、卒業制作でもあり、瀬浪歌央の初めての長編監督作品でもあり、初めての劇場公開作品でもあるので、ぜひいろんな方に見つけていただきたいという思いが、プロデューサーとしてあります。
私も含め、同期の俳優たちも出ているので、そこもぜひ観ていただきたいです。
もちろんいろんな意見や感想が出てくると思っています。私達は毎日劇場にいるので、直接お話しすることや、上映することで新たな発見ができると思うので、楽しみにしています。皆さんぜひ劇場に足を運んでいただきたいです。
■ 作品概要
【タイトル】
映画『雨の方舟』
【出演】
大塚菜々穂 松㟢翔平 川島千京 上原優人 池田きくの 中田茉奈実
【スタッフ、クレジット】
監督・編集:瀬浪歌央
撮影・照明:藤野昭輝 録音:植原美月 大森円華 脚本:松本笑佳 助監督:東祐作 中田侑杏 美術:村山侑紀奈 中原怜瑠 衣装:柴田隼希 瀬戸さくら 大谷彪祐 音楽:瀬浪歌央 近藤晴香 タイトル・フライヤーデザイン:山岡奈々海
プロデューサー:大塚菜々穂
製作:2019年度京都造形芸術大学映画学科卒業制昨瀬浪組[020/日本/70min/DCP/16:9/5.1ch]
【公式SNS】
HP [https://ame-no-hakobune.jimdosite.com]
Twitter [@__rainnark]
Instagram [@amenohakobune]
2022年7月30日(土)〜8月12日(金)池袋シネマ・ロサにて2週間レイトショー