10月3日、渋谷ユーロスペースにて、映画『由宇子の天秤』のトークイベントが開催。映画に造詣が深く、本作にもコメントを寄せたタレントの水道橋博士と春本雄二郎監督が登壇。満席の会場の中で春本監督の映画人生を振り返りつつ、映画の解釈や批評・評価、本作ヒットの分析、現状の日本映画への提言と貴重なトークを繰り広げた。
映画『由宇子の天秤』が動員2万人を突破し、台湾での公開も決定。9/17から渋谷ユーロスペースにて公開を開始し、全国70館以上の映画館で順次公開中。SNSを中心に「語りたい映画」として投稿され、口コミが広がり続けている。
今回、スペシャルゲストに水道橋博士を迎えて、春本雄二郎監督とのトークイベントが開催された。その内容をお届けする。
■水道橋博士による『由宇子の天秤』の評価は?
▼観終わった後、モヤっとする映画
水道橋博士
皆さん映画を観終わった後だと思いますが、皆さん、モヤっとしているのではないでしょうか?着地をさせていないというか、モヤッとしますよね。
春本雄二郎監督
狙ってそうしています。
▼当初の予感を裏切り、最高の評価へ
水道橋博士
実は、僕に試写会の案内・観てくださいという依頼が来たときに、映画のタイトルを聴いて、「この作品には推薦文を寄せないかも」とマネージャーに伝えたんです。失礼ながら、春本監督の名前を聴いたことがなかったんです。
なので、そういった予感を裏切られた感がすごかったです。
春本雄二郎監督
僕は水道橋博士にコメントをいただけたらいいなぐらいで考えていたので、(コメントをいただけて)嬉しかったです。
水道橋博士
他の方がどういったコメントを出しているか(コメント時は)わからなかったのですが、僕自身のコメントは、ありえないくらい評価が高いものになりまして、僕の審美眼が間違っていたらどうしようと思っていました。
映画なのに現実のようであり、役者なのに実在しているようであり、虚構なのに事実のように思える。
この作品は人間の営みの真実をスクリーンに切りとっている。
普遍的な名作の条件を揃えている。
明るく楽しいエンタメの地下水脈に、どす黒い骨太の邦画の血は流れている。
――水道橋博士(お笑い芸人、タレント)
https://bitters.co.jp/tenbin/#comment_wrapper
水道橋博士
この評価のレベルということは、僕としては最高傑作だと言っていることになるんです。
▼「映画=エンタメ」と表現しがちな現在の状況に抵抗感
水道橋博士
(最近の映画って)「時代を超えて残っていく」とか、「エンタメ」ってみんな言い過ぎていると思っています。
僕は“映画がエンタメというふうに語られること”への抵抗がある世代なんです。ずっと10代のときも1人で映画を観てきました。すごく悶々としたものを見せられるとか、ドス黒い現実を見せられるとか、感情の着地ができないものを見せられて、映画館を出たときに、「あぁ、今は現実なんだ」と思う感じが、僕が思う映画の好きなところなんですよ。
■春本監督と映画。映画監督になるまで
▼春本監督の学生時代と映画
春本雄二郎監督
僕が映画を勉強し始めたのは、20歳の時、日大芸術学部に入ってからなんです。絵を描くことが好きで、アニメーション映画監督になりたいと思っていて、スタジオジブリに入りたかったんです。
通っていた大学を辞めて、日大を受けてアニメーションを勉強しようと思ったのですが、入学してから「ここではアニメーションについては教えないんですよ」って言われました。先にそういうことを自分で調べておけよっていう話なんですけどね。
「アニメを教えないっていわれてしまってどうしよう」と思っていたら、周りのみんなが映画ヲタクだったということで救われました。
水道橋博士
それまで、実写映画をあまり観ていなかったんですか?
春本雄二郎監督
それがですね。『ツイスター』(1996)とか、『ジュマンジ』(1995)とか、『エイリアン』(1979)とか…
水道橋博士
めちゃめちゃエンタメじゃないですか。ハリウッドの。
春本雄二郎監督
そこで日芸の周りのみんながどんどんと勧めてくれた映画がその頃流行っていたタランティーノであったりとかウォン・カーウァイだったり、コーエン兄弟だったんです。そこで、「こんな面白い映画があるのか」と思いました。
エンタメ以外の映画を観て、胸がざわつくというのを初めて体験したんです。そこで、「こんなお洒落な映画をつくりたいな」と思いまして、そこから勉強を始めました。
▼日大芸術学部派閥に入りたかった。
水道橋博士
僕は、日大芸術学部派閥に自分も居たかったという気持ちが強いです。なぜそう思ったかって言うと、映画作りっていうのは、まずサークルを作って、そのサークルの中で人を見つけていく仕事だと思うんです。
だから、『由宇子の天秤』の制作過程をみると、日大芸術学部の関係の方がプロデューサーも含めて、スタッフも関連していて、映画作りっていうのはそういう仲間から始まっていくんだっていうのが、パンフレットに書かれていてすごくよくわかりました。
■春本監督が語る「インディペンデント(独立)映画」とは
▼表現について同じ方向を向けるか否か
春本雄二郎監督
僕の映画作りの体制が、インディペンデント映画と商業映画の間のような感じで、私は「独立映画」と呼んでいます。
それをやるにあたってまず一番大切にしなくてはいけないのは、一緒に映画を作るときに、その表現について同じ方向を向けるかっていう人間としての方が大事だと思っています。それはコミュニケーションをとってきていて信頼できる人をスタッフィングなりをしていかないといけないので、日大芸術学部で一緒にやってきたというベースは、ものすごい役に立つし、有効な武器でした。
▼俳優の演技力よりも、その人間性に注目する
水道橋博士
パンフレットを読んでいて感心したのは、俳優のワークショップをやるなかで、俳優の演技ではなく人間性をみているということでした。その人間性の中に演技力があるという見方を春本監督はしていて、「だからかぁ」と思いました。
春本雄二郎監督
その人間が普段、どんな感情の使い方をしているか、人と話す時にどういう言葉をチョイスしているかというのが、日常生活で何か行動する時に、その人である・真実であるという風に、当然、我々は見ていると思います。
なので、同じことがスクリーン上・カメラの前でできれば、誰も疑うことがない演技というか、その人間として存在できるので、なるべくそこを活かしたキャスティングをしていく上で、その人のパーソナリティと私が書いた脚本の人物のパーソナリティが重なる部分が大きい人の方が、より説得力が増すと思っています。
水道橋博士
キャスティングが絶妙だし、本当にその人なんだと思いますね。ドキュメンタリーを題材にしているというのもあったり、気がつくと映画音楽が無いというのもマジックのひとつなんだけど、映画の中に自分がいるかのように脚本が作られていることや、カメラの視点も巧みにつくっているなと、2回目にみると気づくんだけど、1回目見たときは、「なんで俺ここでこんなに持っていかれてるんだろう」と不思議に思うんです。
▼魔法の瞬間を体験させてくれる人
春本雄二郎監督
ワークショップをやるときに一番気をつけていることは、何も無い所からやってもらうことです。本人ともうひとりがただ座っている状態の中で問題を与えて、そこにあたかも物が存在するかのように、我々が実感するレベルまで2人の想像力と呼吸を合わせてもらうんです。
そうすることによって、見ている我々が引き込まれるレベルにまで行く瞬間が現れるんです。それを僕は“マジックモーメント”と呼んでいます。その魔法の瞬間を体験させてくれる人だけを選んでキャスティングしました。
■日本映画を取り巻く現状
▼映画に対して観客が求めるもの、その現状
水道橋博士
邦画の商業映画で(役者さんが)そういった雰囲気が出来ている映画は稀なんです。役者さんの所属先がみえてしまうというか、渾身で役をやっていない感じが伝わる・伝わってくるし、そこまでを観客が求めていないというのもあると思います。
やはり娯楽の一環というか、そこまでを求めて映画館に来ていないと言われます。
▼映画における監督とは
水道橋博士
若手の芸人に話を聴くと、「観に行く映画の監督の名前を気にするんですか?」って言われるんですが、それが僕は不思議です。
春本雄二郎監督
僕は映画をオーケストラや料理で例えるのですが、指揮者や料理人が監督であると思っています。どれだけ奏者や食材がうまくても、指揮者の発想が貧困だったり、料理人の腕が下手だと台無しになってしまうと思っています。
だから、映画は監督次第だと思っています。宣伝でもポスターでも、俳優部の名前がいつも前面に出てしまう状況は良くないなといつも思っています。
水道橋博士
日本映画も黄金時代があり、監督の名前で観客が入っている時代がもちろんありましたね。黒澤明監督だったり北野武監督だったり。大島渚監督だったり。
春本監督は、そういう監督の仲間入りをする監督だと思いました。
■映画『由宇子の天秤』のヒットについて
▼予想を大きく裏切られた点
水道橋博士
この映画が口コミで広がっているのは凄いことだと思っています。素晴らしい作品だけど、コロナ禍だし、この映画は当たらないだろうなと思っていました。また、タイトルがわかりにくいと思っていました。
映画を観たらわかるんですけど、みていないときには、いったいこれは何の映画だと思ってしまうんです。
▼変えていきたい映画への価値観
春本雄二郎監督
外国では、何の映画かわからないけど、タイトルとメインビジュアルで想像して面白そうだと思ってみにいくのが海外での思考回路なんです。
日本の場合はどういう話か、どういうテーマかここまでを書かなければいけないというのがあるそうです。
これは、作り手の責任だと思っています。映画がエンタメであるという価値観というか、要素がそこだけしかないと思わせてしまった映画人たちのツケが回ってきてしまっていると思います。これを少しずつ変えていきたいと思っています。
『由宇子の天秤』はテーマとしては社会的なテーマを入れていますが、人間ドラマとしてみていただいても、物語を追っていただくだけでも十分楽しんでいただけると思っています。層の深さというか、浅い層でも楽しめるし深く突き詰めても面白い。両方を兼ね備えた映画をつくっていくことが今後の映画人にとっての挽回に繋がっていくと思っています。
▼『由宇子の天秤』のヒットの分析。映画の解釈とは。
水道橋博士
この作品がヒットしていることがすごいと思っていて自分なりに観察しています。この作品はSNSで皆が書きたくなる映画なんです。それは答えがないからなんでしょうね。映画を観た人が自分が映画の中の関係者であるかのように感じているのだと思います。
園子温の言葉を借りると、「あなたは誰の関係者ですか?」みたいな。映画を観た人が、「映画を観た?あれってどう思う?」って話し合うのが映画の正しい鑑賞の仕方だと僕は思っています。
春本雄二郎監督
映画の解釈って、やはりお客様のものだと思うんです。お客様だけのもので、どれも正解で間違いはないという。だからこそ、自分が感じたことに対して自信を持っていただきたいですし、「何でこれはこうなったんだろうか?」という風に、「なぜ登場人物がこんな行動をしたんだろうか」とか「これはちょっと自分の選択とは違うなあ」と思ったら、是非そういうときこそ隣の人と語り合ってもらいたいです。
▼解釈について、間違いも正解もない
春本雄二郎監督
僕は表現者なので、それぞれの表現やああしたい・こうしたいという狙いと矜持を持つことが、一番大切だと思っています。感じたこと、やりたい表現、伝えたいことって言うのはどれも間違いではないですし、どれも正解でもないと思っていますし、否定し合うことはないと思っています。
水道橋博士
映画がテレビと違うところの大きな要因は、映画は常に批評がついてまわるということです。批評のフィードバックが、作家・映画監督のフィルモグラフィーの中に反映されていくんです。映画監督は、そういう批評を受けたから回答として、「次はこれをやってやる!」とか、評価と戦い合いながら逍遥させて、もちろん褒めてももらうけれど、次の作品こそその回答で、物足りないことへの回答は次だ・次回作がベストなんだということをやっていく職業だと思います。
だから、映画監督には批評を意識して欲しいし、テレビ番組・放送の送りっぱなしと違うところだと思っています。
映画と言うのはそういう流れの中に常にあって、再評価というものを何回も繰り返して、“マスターピース(傑作)”というのは、時代の流れの中で変わって行くものだと思います。日本で評価されなかったものが、急に海外で評価され、その評価を高らしめるといったことが起きる。それが世界の共通言語であるというのは映画の強さですね。
春本雄二郎監督
批評家が映画の読み解き方を一般人に対して紐解く、大切な価値がありますね。
▼第三者からの評価と自分の良い物の基準
春本雄二郎監督
評価は後からついてくるもの・おまけ的なものだと考えていて、自分は自分で良き物の基準があります。主観的な基準ではまだ僕はこの映画に対して、もっとできるところがたくさんあったなと思う反省点が多々あります。
今度の3作目はそれをさらに洗練した表現を淡々と突き詰めていくだけだなと思っていて、それを周りがどう評価してくれるかだけの関係性だなと思っています。
自分の作家性としての活動と、周りでどういうふうに評価していただけているかっていう部分の客観性っていうのは常に冷静な目で見ていきたいと思います。
この映画が口コミで広かっているっていう効果は、SNSでつぶやいてくださる方のことに対して、私達が俳優部も含めてリアクションをしたりですとか、劇場に来てくださるお客様に直にあって話をさせていただいたりというのを大切にしています。
テレビで大々的に宣伝ができない分、一つ一つの繋がりを大切にしていくというのが、こういう映画は着実に支援してくださるファンを増やしていくにあたって大事な戦略ではないかと思っています。
▼助監督を経験した強み
春本雄二郎監督
スケジュールも自分で切って、お金集めもして、脚本も自分で書いているので、どれだけお金がかかるか、どこにいくらかかるかっていうことは、全部把握できている中でやっています。これは他の人にはできない武器で、撮影所のシステムで学べて良かったと思います。
お金が無い分、どこでお金を削りながらも、それを逆手に取ってクリエイティブに利用できるか、それってどこなんだろうかっていつも考えています。ブラックな現場を体験しすぎると、そういう知恵が働くようになります。
助監督は監督を納得させなくてはいけないんです。「予算がないからこれはできないんです」とは言えなくて、監督を助けるから助監督なので、「これはできないけど、これだったらできる」といった納得のさせ方になります。
■春本監督と水道橋博士と共通するRECモード
▼自分の中のRECモード
水道橋博士
僕は自分が何者でもない日常が毎日続いている内に、念願だったビートたけしの門下「たけし軍団」に入りました。それ以降は、自分の中にずっと“自分が主人公の物語”を生きている感じがあるんです。その感覚の中では、カメラが寄ってきたり、俯瞰になったりするんです。
春本雄二郎監督
まさに映画の中ですね。
水道橋博士
僕の「藝人春秋」シリーズはどこでどうやってこの視点や会話を記録しているのかというと、それは日常の中です。「今、レコーディングスイッチを押した!」というような瞬間が自分の中にあるんです。「この話は絶対に録画するべきだな」とか。
もちろん、録画オンのスイッチは頭の中にあるんだけど、今はiPhoneがあるからね、時々バチッと録画したりします。
春本雄二郎監督
それは映画監督的な視点と全く一緒だと思います。シチュエーションがシュールで面白いと思ったら、僕もREC状態になります。
■人生という舞台
▼みんな人生という舞台で、自分が主人公の映画の中を生きている
水道橋博士
僕は映画じゃなくて、執筆するほうだけれど、そういうことを職業的に意識するようになるし、「人生が舞台で、あなたが主役」というのは、全ての人が“映画の中に生きている”と思う日常を生きてもいいんだって思います。
春本雄二郎監督
この発想って、俳優部も全く同じではないかなと思います。自分が登場人物の映画の世界を今生きているという。
▼作品づくりのテーマ
春本雄二郎監督
真のテーマは何かっていうのをまず見つけ出すための仮のテーマ、本来はこれが元々のテーマなんですけど、いずれ真のテーマが見つかるというのはいつものパターンになっています。
水道橋博士
キャラクターが動き出すと、そこからまたテーマを探していくような部分が出てきますよね。
春本雄二郎監督
人間に忠実に行けば行くほど、本来描き出そうとしていたテーマとズレていきます。今回のテーマも、最後の方ではっきりしてきた感じがします。
最初は報道だったり加害者家族の方の扱われ方に対して光をあてることが重要だったんですけど、そこから人間自身の弱さとか心の揺れの方に掘り下げていくようになりました。人間がグレーな存在であるということですね。
水道橋博士
それは作品を観ていただいた皆さんにはよくわかると思います。この映画ってみんなで喋りたいですものね。
春本雄二郎監督
ぜひ、ラストシーンについて皆さんの言葉で感想をいただけたらと思います。私はそういったものを全部見ているので、ハッシュタグ #由宇子の天秤 をつけてつぶやいてください。
■映画『由宇子の天秤』
瀧内公美 河合優実 梅田誠弘 松浦祐也 和田光沙 池田良 木村知貴 川瀬陽太 丘みつ子 光石研
脚本・監督・編集:春本雄二郎 プロデューサー:春本雄二郎、松島哲也、片渕須直
キャスティング:藤村駿 ラインプロデューサー:深澤知
撮影:野口健司 照明:根本伸一 録音・整音:小黒健太郎 音響効果:松浦大樹 美術:相馬直樹 装飾:中島明日香 小道具:福田弥生 衣裳:星野和美 ヘアメイク:原田ゆかり
製作:映画「由宇子の天秤」製作委員会 製作協力:高崎フィルム・コミッション 助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
配給:ビターズ・エンド 2020/日本/152分/カラー/5.1ch/1:2.35/DCP ©️2020 映画工房春組 合同会社
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