10⽉12⽇(⼟)から、シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷)でモーニング&レイトショー上映が決定した『ピアニストを待ちながら』。この度、恋愛要素が感じられるWEB限定特別ビジュアル公開。また、柴田元幸、田原総一朗ほか総勢15名からの絶賛コメントが到着。井之脇海ほかが登壇する初日舞台挨拶+アフタートークも連日開催。
■ 映画『ピアニストを待ちながら』
真夜中の図書館で⽬を覚ました瞬介は、なぜか外に出られぬまま、旧友の⾏⼈、
貴織と再会する。いつまでも明けない夜、学⽣時代の演劇仲間だった3⼈は、かつて上演できなかった芝居の稽古を始める。それは⾏⼈が作演するはずだった「ピアニストを待ちながら」であったーーー。
10⽉12⽇(⼟)シアター・イメージフォーラムでモーニング&レイトショー上映が決定した『ピアニストを待ちながら』。
本作は、『のんきな姉さん』(04)でデビュー後、『眠り姫』(07)、建築家との共作『DUBHOUSE』(12)や「⾳から作る映画」プロジェクト、『背 吉増剛造×空間現代』(22)などを撮り、今年デビュー20周年となる異才・七⾥圭が、世界的な建築家・隈研吾が⼿掛けた村上春樹ライブラリーの館内で全編撮影した待望の最新作。
2022年10⽉に早稲⽥⼤学にて45分版が初披露、翌2023年1⽉に舞台挨拶付きで特別上映されたが、この度、61分の劇場公開版として⽣まれ変わった。
シアター・イメージフォーラム(東京)に加え、11⽉2⽇(⼟)からシネ・ヌーヴォ(⼤阪)、11⽉16⽇(⼟)から横浜シネマリン(神奈川)、11⽉29⽇(⾦)から出町座(京都)での上映が決定、他にもシネマテークたかさき、下関シネマポスト他全国10館規模の上映が予定されている(各劇場で『のんきな姉さん』『眠り姫』など七⾥監督の旧作特集が併映)。
▼キャスト陣
瞬介を演じたのは、若⼿実⼒派の井之脇海。9歳からスタートさせた役者のキャリアと、⼤学で映画制作を学んだ経歴も持つ豊かな知⾒で脚本を咀嚼。『東京ソナタ』(08)で天才ピアニスト少年を、『ミュジコフィリア』(21)でも現代⾳楽に⽬覚める学⽣を演じた井之脇は、その実績を更新するように本作でも吹き替えなしでピアノの演奏を披露している。
瞬介の⼤学の同級⽣・貴織役には、『わたし達はおとな』(22)『福⽥村事件』(23)『熱のあとに』(23)などの話題作で⽖痕を残してきた⽊⻯⿇⽣。
瞬介の友⼈で演劇⻘年の⾏⼈には、『ミスミソウ』(18)『劇場版美しい波〜eternal』(23)の⼤友⼀⽣。また、 瞬介よりも上の世代にあたる謎めいた存在感を持つシングルマザーの絵美を『王国(あるいはその家について)』(23)
『ナミビアの砂漠』(24)の澁⾕⿇美、中年男の出⽬には『夜明けのすべて』
(24)『蒲団』(24)の⻫藤陽⼀郎がつとめ、変化球のクインテットを奏でる。
▼WEB限定のビジュアル完成
WEB限定のビジュアルが完成。摩訶不思議な迷宮世界をイメージしたポスタービジュアルから⼀転、恋愛要素が感じられる今回のビジュアルは、井之脇演じる瞬介と⽊⻯演じる貴織が隣合い、眠りにつくロマンチックなシチュエーション
を収めた1枚。
七⾥監督独特の変わった構図と、その後のストーリー展開が気になるビジュアルとなっている。
▼コメント第2弾
村上春樹ライブラリーにわたしは度々、⾜を運ぶ。そこでは、あらゆる本が息を潜めている。壁に描かれている“⽺男”さんが動き出しそうに思える。
グランドピアノからは“巡礼の年”の旋律がきこえる気がする。ここは真夜中になれば、“世界の終わりの図書館”へと姿を変えるのだろう。
̶̶しかし、いつの間にか映画の世界に⼊り込んでいた。
わたしは、トリガーを探す。
夜更け、本棚に挟まれた中央階段で⽬覚めた井之脇さんと共に、建物内を彷徨い、静かに歩みを進める。
不確かな存在と演劇が解釈をさらに曖昧にしてしまう。
信じられることは、彼の無欲な表情。この世界が⾮現実であることを認識する唯⼀の⼿がかりだ。
この迷宮から外へ出るには、⾃分の影を探さなければいけない。
影と合流して、光が差すこちら側へ通り抜けることができたら、また村上春樹ライブラリーを訪れてみて欲しい。
“ピアニストを待つ” 住⼈がいる、あちら側の世界にまた戻りたくなるだろう。
⼩川あん(俳優)
ピアニストの不在が、村上春樹ライブラリーという鍵盤を叩くように、5⼈にリズムを刻ませる。過去の演劇と同じ⾔葉や⾝振りの反復が際⽴たせるのはむしろ反復不可能な時間の経過。
変わってしまったもの、存在しないはずのもの。
ブニュエル『皆殺しの天使』のように、過去を”演じ直す”ことで何かが変わるかもしれない。
しかし現前しないものの存在を疑うのなら、画⾯の外に世界はそもそも存在しているのだろうか︖確かなことは、ここに奇妙で魅⼒的な演奏が存在するということだけだ。
上條葉⽉ (字幕翻訳者)
謎めいたタイトルの所以は、映画を観れば多少とも解明される(︖)のだが、それ以前に、こう考えてみればよい。
ゴドーを撃て。
これはそういう映画である。
佐々⽊敦 (著述家)
映画と⼩説・演劇・建築の邂逅、その物語性とメタ構造を軸に、⽣と死、光と影をめぐる難解なミステリーとして、⼰と向き合いながら観るのが本作の醍醐味。なんだ
けど、頭からっぽで、ただただ不条理の迷宮を彷徨う快楽に浸るのも楽しい。七⾥監督作品は、そうやって毎回違う⾓度から味わえるので、何度も⾜を運んでしまう。
佐々⽊誠 (映画監督)
「気づいたら、ここにいて……」「みんなそうだ。だから待つんだよ」――これが⾃分の物語でない⼈などいるだろうか。
柴⽥元幸 (⽶⽂学者・翻訳家)
⼼にどうしようもない闇を抱えた⼈たち。神の赦しを待ちながらもそれは決してやってこない。おずおずと演じられる絶望のピアノとダンス。こんな不穏で不条理なドラマが
表⾯上はとても軽やかに展開してゆく。
館に集められた⼈々が外に出られず姿を消してゆく設定は『そして誰もいなくなった』を思い出した。この映画まだまだ序の⼝なのだ。その後を想像するのが怖い。
渋⾕哲也 (⽇本⼤学教授/ドイツ映画研究)
早稲⽥⼤学国際⽂学館は、昔の4号館。
半世紀以上前、怒れる若者たちが、何かを待っていた。
40年ほど前、怒り⽅すら知らない私が、何かを待っていた。
そして今、瞬介たちが、何かを待っている――。
そう。時代は変われど、あの場所で若者は、待ちぼうけを学ぶのだ。
スージー鈴⽊ (⾳楽評論家)
ピアノが弾けてもピアニストにはなれない。ピアニストと呼ばれる⼈がピアニストだからである。
演出の経験がなくても、演出家になることができる。演出家に指名されれば、その⼈が演出家だからである。
⼤事なのは内実か、それとも名称か。
七⾥圭はコロナ禍を経た⽇本の現在に普遍論争の末裔を呼び出し、それを映画の問いとして引き受けた。――のだろうか︖
須藤健太郎 (映画批評家)
難しい映画だが、学⽣や若者たちが感じている社会の閉塞感を⾒事に表現していた。
もっと⾃由に、もっと前向きに⽣きていいんだということを彼らには伝えたい。
⽥原総⼀朗(ジャーナリスト)
45分版と同じ素材を使っていながら、まるで初めて⾒る映画になっている、『ピアニストを待ちながら』61分版。圧倒的な⾳響効果にもよるが、編集の魔術としか⾔い
ようがない。演技と台詞と編集が渾然⼀体となって、この未曾有の映画体験を導いていく。これは前衛主義者には撮れない。古典的な演出を体得した者が、つなが
るか、つながらないかの綱渡りを演じた結果、現れた(超現実)世界だ。七⾥圭、恐るべし︕
筒井武⽂ (映画監督)
俯瞰でとらえられた、ピアノの鍵盤めいて⾒える階段のうえで⽬覚めた⻘年は、ドアを出たところから先へは進むことができない。やがてこの結界、というか境域のなかに閉じ込められた、彼を含む全部で五⼈の男⼥が、ピアニストを待つ⼈々をめぐる奇妙な振りつけの観念的でユーモラスな芝居の稽古に励みながら、ピアニストの到来を待ち続ける。待つことと演じることがループするこの世界では、建物を取り囲むガラスが⼀種の限界と化して、内と外を遮断しつつ透過させる。既存の建築空間がまるで特別誂えのセットのごとく機能し始めると共に、ガラスに反映/透過されて⼆重化したり輪郭がぼやけたりしてその存在があやふやになる彼らは、夜が明けることが決してないというこの⻩泉のごとき「期待」という名の境域の「外の中で⽣きる」のだし、「いるのにいなかったり、いないのにいるように思わされたり」する。表が裏で裏が表の、このメビウスの輪を断ち切ることは果たしてできるのか︖
遠⼭純⽣ (映画評論家)
東京国⽴近代美術館のコミッションワークで私は隈研吾の建築を映像化したことがある。ただし、建築の外観は撮影していない。そこには興味はなかった。それでも建物の内部で繰り広げられる⼈々の社会的・機能的・資本主義的コミュニケーションの場としての建築には関⼼を抱いた。結果として、そこで活動する⼈々の「いま」にカメラの焦点を合わせ、建築の構造体は背景へと退いていく。私にとってそれが隈研吾の建築を撮ることだった。七⾥圭の映画もまた建物の外観を映さずに、その内部にいる⼈間にカメラを向けるという意味で、私たちの隈建築の理解は親和性があると思う。ドアのある場所では⼈は移動し、本を読むことが想定された階段では⽴ち⽌まり、物を⾷べる場所では物を⾷べ、ピアノのある場所ではピアノを弾く。⼈間のビヘイビアは空間によりデザインされ、あらかじめプログラムされた規範的な⾏動をとるよう建築は触発する。この機能性あるいは「権⼒」を突き崩し脱構築する⽅法を私は⾒出せなかったが、映画《ピアニストを待ちながら》はそれを可能にした。「いま」
をさまよう⼈間が、曲がりくねった道として歩み、⽴ち⽌まり、待ち続け、迷いながらも再び⾃分を⾒出そうとする、そのような⼈間性を建築に対峙させたからではない。
それすらも建築家は設計できる。それでは、この映画の何が隈建築に孔をあけ、芸術作品として突き抜けたものにしたのか。それは冒頭から⽿を澄ませば⾒えてくる。
藤井光 (美術家・映像作家)
ここには現代的な状況がシンボリックに描かれていて、それはつまりグローバルな想像⼒に基づいているはずなのに、しかし七⾥圭監督作のここには〈⽇本〉の特異的な想像⼒もまた深く根を張っている、と⾃分は鑑賞中にずっと感じていて、それはなぜだったのだろう︖ 出られない建物(図書館)と明けない夜、との設定をグローバルな想像⼒からズラして探るに、たとえば江⼾時代の国学者にして作家の上⽥秋成は『⾬⽉物語』内の⼀篇となる「吉備津の釜」という作品を書いていて、ここでは良妻を裏切って愛⼈と駆け落ちした男が出る。そして妻は死に、怨み、祟る。その祟りを逃れるためには妻の死後四⼗九⽇が過ぎるまで「⼾締まりした家に、外には⼀歩も出ないで、籠もる」ということをしなければならない。ついに四⼗九⽇めの夜が過ぎ、ああ窓の外が明けた、夜明けだ︕と思って外に出た男は、
それは怨霊の企んだ幻術であって実際には夜はぜんぜん明けていなかった、そして・だから⼤量の⾎と髪の⽑の束だけを残して消える、というのが秋成の「吉備津の釜」なのだが、かつアイディアの原形は中国の短篇⼩説にあるらしいのだが、上⽥秋成という激烈な異才によって完全に〈⽇本〉化されている。そこだ。そこに七⾥圭『ピアニストを待ちながら』に通ずる何かがある。亡霊の擬装した夜明け、の反転、というよりも千の断⽚に散ること。ここに七⾥圭の現代性があり、これはグローバル化の⽂化状況もパンデミック下とその後の状況も撃っている。そして〈⽇本〉とは四⽅の海洋がそのまま国境線とイコールになってしまっている、つまり出られない図書館にほぼ等しい「海に囲われる列島国家」なのであり、その海を夜と考えて待たれ続ける朝でもあるのだと考える時に、この映画の鑑賞体験の「意味」がわずかに光を射される。怖い。
古川⽇出男 (作家)
外に出ていったのに、内にいたまま。
終わったのに、終わっていない。
真夜中の図書館は迷宮となり、
サスペンスフルな寓意劇がエンドレスに展開する。
現代映画の最果てを孤独に⾛る七⾥圭の魔術的演出は、映画、映像、演劇、図書館、それらの本質的な不可思議さをぬっと浮かび上がらせる。
その気持ちよさ︕
三浦哲哉(映画研究・批評)
静寂に包まれた夜の図書館では、なにが起きても不思議ではない。
朝がいつまでも訪れず、若者たちはそこに閉じ込められ、あっけにとられるほどの不条理に⽀配されたとしても。
館外から絶え間なく聞こえてくるのはシュプレヒコール︖
そのかすかな叫びは、かつて⾼名なジャズピアニストが乱⼊ライブを⾏った学園紛争の時代へ、わたしたちを誘う。
歴史や、そこに積み重なった知性や教養とのつながりすら得られる、摩訶不思議な映像体験。
⾨間雄介(ライター/編集者)
▼初日舞台挨拶決定、アフタートークも開催
10⽉12⽇(⼟)シアター・イメージフォーラム11:00の回上映後、舞台
挨拶の開催が決定。井之脇海、⼤友⼀⽣、澁⾕⿇美、⻫藤陽⼀郎、七⾥圭監
督が登壇し、撮影秘話を語る。
さらに、13⽇よりアフタートークも連⽇開催。迷宮的な世界観を持つ本
作をあらゆる観点からひも解く。
10/12(⼟) 11時の回上映後/登壇︓井之脇海 ⼤友⼀⽣ 澁⾕⿇美 ⻫藤陽⼀郎 七⾥圭 ※マスコミ取材あり 21時の回上映前/登壇︓七⾥圭 他 10/13(⽇)11時の回上映後/登壇︓七⾥圭 |
アフタートーク︓ゲスト×七⾥圭監督 10/13(⽇)21時の回 荻野洋⼀(映画評論家/番組等構成演出) 10/14(祝)11時の回 ⾨間雄介(ライター/編集者) 10/15(⽕)21時の回 佐々⽊敦(著述家) 10/18(⾦)21時の回 上條葉⽉(字幕翻訳者) 10/19(⼟)11時の回 ⽉永理絵(映画ライター/編集者)/21時の回 筒井武⽂(映画監督) 10/20(⽇)11時の回 須藤健太郎(映画批評家) 10/22(⽕)21時の回 河合隆史(早稲⽥⼤学基幹理⼯学部表現⼯学科教授) ⼟⽥環(⼭形国際ドキュメンタリー映画祭プログラム・コーディネーター) |
▼『ピアニストを待ちながら』 サウンドトラック配信
『ピアニストを待ちながら』の劇場公開を記念して、 10⽉12⽇、本作⾳楽担当の宇波拓さんによるサントラ版が配信される。
サントラ発売に先⾏して、現在、saxophonist take 2 『ピアニストを待ちながら』より (feat. Bertrand Denzler)
https://distrokid.com/hyperfollow/takuunami/saxophonist-take-2–feat-bertrand-denzler
が配信中。パリ在住のベテランサックス奏者Bertrand Denzler⽒のサウンドをぜひ、チェック︕
宇波拓さんからのコメント
夜に閉じ込められた図書館に響く、誰にも聞かれないサウンドトラックを、七⾥さんと夢想しました。Bertrand Denzler(sax)、Margarida Garcia(bass)、⽊下和重(violin)による異なる時間軸での演奏を織り合わせています。先⾏シングルでは、映画本編ではおこらなかった、異なる世界線での出来事を記録しました。
映画『ピアニストを待ちながら』
出演︓
井之脇海 ⽊⻯⿇⽣ ⼤友⼀⽣ 澁⾕⿇美 ⻫藤陽⼀郎
監督・脚本︓七⾥圭 プロデューサー︓熊野雅恵 撮影︓渡邉寿岳 照明︓⾼橋哲也 録⾳︓松野泉 ⻩永昌 ⾳楽︓宇波拓 編集︓宮島⻯治 ⼭⽥佑介
制作・配給︓合同会社インディペンデントフィルム 2024年/⽇本/カラー/61分/ヨーロピアンビスタ/5.1ch /DCP
©合同会社インディペンデントフィルム/早稲⽥⼤学国際⽂学館
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10⽉12⽇(⼟)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開