1月13日(土)から、渋谷にあるシアター・イメージフォーラムにて、映画『レオノールの脳内ヒプナゴジア』が公開。公開初日には、主人公のレオノールを演じたシェイラ・フランシスコが登壇。トークイベントにて質問に答えた。※ヒプナゴジア=半覚醒
■ 映画『レオノールの脳内ヒプナゴジア』
▼STORY
かつてフィリピン映画界の巨匠だった映画監督レオノール・レイエスは、72歳になり引退した今、借金と息子との関係悪化に悩みながら暮らしている。ある日、脚本コンクールの新聞記事を目にした彼女は、一念発起して未完のアクション映画の脚本に取り組む。しかし、落ちてきたテレビに頭をぶつけヒプナゴジア(半覚醒)に陥り、物語の中に入り込み、未完の脚本のアクションヒーローにならざるを得なくなったとき、フィクションと現実が交錯し始める-。そして息子は必死に母を脚本の世界から引き離そうとする。
■ 公開初日トークイベント
公開初日には、主人公のレオノールを演じたシェイラ・フランシスコが登壇。トークイベントにて質問に答えた。
▼出演のオファーを受けて
ーこの奇想天外な映画の出演のオファーをいただいてどのように感じましたか?その時、脚本は読まれましたか?
シェイラ・フランシスコ
最初にオファーに応えた時に、マニラでミュージカルの舞台に出演していまして、そこに本作のプロデューサーが観に来られて、プロデューサーから、「レオノールの役を演じていただけないでしょうか?」と言われました。
2回ぐらいオファーされて、なやんでいたのですが、3回目に監督のマルティカさんを連れてこられて、監督に会って出演することを決めました。
監督から話を聞いてすごいびっくりしました。
監督のビジョンを語ってくれましたし、私のようなおばあちゃんを使ってアクション映画を撮るという、そのアイディアにびっくりしました。 彼女の考えていることとか、奇想天外な部分にすごく惹かれて、監督の思いやパッションが伝わってきたので、それが出演するきっかけになりました。
この映画自体が他のいままできいてきた映画とは全然違うユニークな部分にひかれて出演を決めました。
▼マルティカ・ラミレス・エスコバル監督の印象は?
-エスコバル監督というのはどういう人だと思いましたか?
シェイラ・フランシスコ
マルティカ監督は、彼女はすごい才能があって、天才と思うんですけれども。心がすごい温かい素晴らしい人だと思っています。私だけじゃなくてこの映画に関わったみんなが、彼女のビジョンを共有して、彼女の熱意に心を打たれて参加している人たちばかりです。
彼女のビジョン、パッションがみんなを動かす原動力になっていたと思います。みんなが彼女を尊敬していました。
彼女はまだすごく若いんですけども、才能のある、そして温かい心をもった素晴らしい人だと思います。
▼レオノールおばあちゃんのキャラクターづくり
-チャーミングなレオノールおばあちゃんっていうキャラクターをマルティカ監督とどのように作っていったのでしょうか? そして、アイディアは何か出したのでしょうか?
シェイラ・フランシスコ
このレオノールというキャラクターなんですけども。監督のマルティカの実際のおばあちゃんからインスピレーションを受けていまして、彼女のおばあちゃんというのはレオノールのように多くのことを隠しているというか、オープンじゃないんです。
秘密を隠しているような方なんですけれども、同時に強い女性でもあります。私自身も同じように、強い女性だと思っているので、彼女のおばあちゃんに共感できる部分がありました。私自身も長年の人生経験やステージでの経験も活かせることが出来ました。
ステージの経験というのは、ほとんどが人間関係の舞台ばかりだったので、そこで人間関係の部分というのは活かされています、
レオノールというキャラクターは、いろいろな痛み、息子を失くしたという痛みを抱えているキャラクターです。私自身も家族をなくしたことがあるので…お姉さんだったりお父さんだったり。私は8人兄弟なんですけれども、今生き残っているのは4人しかいません。なので、死に対する痛みも分かっています。
レオノールの重要な部分というのは、それでも今から何かを変えたい。過去の後悔だったり、間違いを直していきたいという気持ちがあって、その同じ気持ちを私は持っているので、そういった部分をキャラクターに活かすというのは難しいことではなかったです。
▼家族の絆
-本作はアクション映画を取り込みながら、家族への愛というものもしっかりと描かれていると思います。フィリピンではこのような家族の絆は強いのでしょうか?
シェイラ・フランシスコ
家族の物語というのは、フィリピンではポピュラーなテーマなんですけれども、皆さん、家族の問題だったりとか複雑さを経験していると思います。それに対してどういう対応をするかが重要だと思っていまして、 この映画の中では息子に対する愛 であったりという部分は、フィリピンだけでなく世界共通のことだと思っています。
例えばこの映画の中では、レオノールの昔の旦那さんが出てきて、まだ彼も彼女を愛している。いろいろな事情があって、一緒に暮らすことは出来なくなったけれども、またそこから友情がうまれてくるということが描かれていて、監督が言いたいメッセージが私にはつたわってきました。
▼完成した映画を観ての感想
- 完成した映画を見た感想をお聞かせください。
シェイラ・フランシスコ
もちろんこの映画がすごく大好きです。最も重要だと思うのは、みなさんのリアクションですよね? 私自身はこの 映画に長く関わってきているので、監督と一緒にこの作品をつくるという経緯を一緒に経験してきたんですけれども、その後、完成してから皆さんの・お客さんの反応を見るのが楽しみです。
私自身、この映画に関していうと、初の長編の主演映画ということもあるんですけれども、そういう理由というよりは、完成したあと、皆さんの反応をみて愛情を受けていることを感じているので、そういった意味で特別な映画です。
皆さんの愛情をまた他の方々に共有していただけるとありがたいです。
▼アクション映画と暴力のとらえ方
ーマルティカ監督が フィリピンではアクションスターが大統領になるほど親しまれているのはなぜだろう?と思ったことがこの作品をつくるきっかけだそうですけれども、シェイラさんは本作のアクション映画、そして暴力のとらえかたをどのように感じますでしょうか?
シェイラ・フランシスコ
愛というものを表現する時に、映画の中でも暴力というものを使って表現することがあると思います。フィリピンではいろいろなことがうまくいってないんです。いろいろな困難があって、それはフィリピンだけでなく世界中どこでもそうだと思うんですけど、フィリピンではヒーローが待ち望まれているという風潮があって、人々はヒーローが映画の中だけではなく、実際に我々を救ってくれるんじゃないかと思っている。
だからアクションスターが大統領になったりとかすることが起こっているわけです。だけど、実際のところ、アクションヒーローが政治家になってうまくやってる人もいるのですが、ほとんどの場合、うまくやってない。やはり政治とか政府にかかわるようなことは、映画の中のアクションスターとはまったく違うことなので、そういったところに疑問点はあると思います。
このレオノールというキャラクターはアクション映画を書いていますが、この映画の中でレオノールはアクション映画を書きつつも、暴力に対する疑問点を持っています。
最後の方で市長を殺そうとした時に、 「暴力なんてもういいでしょ。」というシーンがあります。
それはレオノールが暴力に対する本当の表現・思っていることですし、監督も暴力に対して、「もう十分でしょ」と思っていることで、それでも映画の中なので暴力は使われています。
特に70年代のアクション映画に出てくるような暴力というものをみて、そこを真似た部分なので、例えば劇中劇の中でロンワルドが市長の息子に対するシーンがあると思うんですけれども、あのシーンは私はあまり好きではありません。 けれども、自分のお母さんが殺されたというシーンで、お母さんを殺されたその怒りを表現するために、そういう表現方法になったんじゃないかと。それは愛情を表現するために彼の怒りを表現していると思っています。
<通訳:今井太郎>
映画『レオノールの脳内ヒプナゴジア』
監督・脚本:マルティカ・ラミレス・エスコバル(初長編監督作品)
出演:シェイラ・フランシスコ、ボン・カブレラ、ロッキー・サルンビデス、アンソニー・ファルコン
2022年/フィリピン/99分/フィリピン語/字幕:日本語、英語
原題:Ang Pagbabalik ng Kwago/英題:Leonor Will Never Die
日本語字幕:細田治和
公式サイト https://movie.foggycinema.com/leonor/
X https://twitter.com/leonormovie
シアター・イメージフォーラム
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2丁目10−2
1月13日(土)シアター・イメージフォーラムほか順次公開